リレー小説 vol1 A

『まんけん』1p

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喜屋武海人はその扉の前で立ち止まった。放課後の廊下にはほとんど人気がなく、辺りは静まり返っていた。海人が見つめる先の扉には「漫画研究会」と書かれた札が掛けられている。
 海人は、つい先日転校して来たばかりの転校生だった。まだ1年生だったが、とある事情で高校に入学してすぐに引っ越さなくてはならなくなり、この高校に転校してきた。せっかく新しい学校にも慣れてきたところだったのにと、初めは愚痴をこぼした海人だったが、転校してきた当日、部活動関係の掲示板を見て驚いた。

「漫画研究会」。

 そのポスターに釘付けになった。
 漫画は大好きだった。
 というか、ぶっちゃけ、彼は「オタク」だった。
 何となく言えなくて、周りの友達は知らなかったが。
 だが、ここは、漫画研究会だ。ここならきっと、仲間・・・もとい同士がいるに違いない!
 そんな期待を抱きながら今まさに扉を叩こうとした、その時だった。



「納得できませんよ!」
 と、部屋の中から大きな声が響いた。
 思わず、海人は扉へ伸ばしていた手を引っ込めた。
「そんなの聞けるわけ無いじゃないですか!」
 部屋の中から再び声が響く。
「そんな無茶なこと言われて反論もしなかったんですか!」
 声を聞きながら海人は、困ったな、と思った。どういう状況かはわからないが、部屋の中で誰かが言い争っているか、あるいは詰問されているらしい。

 少しの間迷ったが、海人は扉に手をかけずにこの場を去ることにした。
 こういう場合に部外者が突然顔を出すのも気が引けたし、なにより彼は争いごとが苦手だった。
 だが、結果として彼はこの場を後にすることはできなかった。
 突然、肩を叩かれたのである。
 驚いて振り向くと、そこにはいつの間に現れたのか背の高い男性が立っていた。
「君は入部……いや、入会希望者かな?」
 低く、よく通る声だった。
 制服を着ているところを見ると海人と同じ学園の生徒であり、どうやら上級生のようだった。
 海人が何も言わずにいると、男性は再び口を開いた。
「それとも、漫画研究会には用がなかったかな」
「あ、いや違います。僕は入会希望者なのはそうなんですけど、その――」

「絶対におかしいです!」
 またも、部屋の中から大きな声が響いた。
 男性は驚き視線を扉に向けたが、すぐに状況を理解したようで、
「なるほど、これは入りにくいな」
 と言って苦笑した。
 先ほど、後ろの窓から差す西日のために少し影がかかっていたため、不敵に見えた顔が、苦笑していると人懐っこい顔に見えた。
「すまないね、普段はこんな奇声を発する子ではないんだけど」
 と、言いながら男性は扉を開けた。

「君たち、廊下まで声が響いてるぞ。いったい何があったというんだ」
 そう言いながら部屋に入った男性に続き海人が部屋に入ると、そこには2人の女性がいた。1人は背の高い女性。もう1人はそれよりも頭一つ分背の低い女性、というよりもむしろ少女といった方がいいだろう。2人とも制服を着ている。
背の高い女性の方は困ったような顔をし、少女は眉間にしわを寄せていた。どうやら大声を出していたのはこの少女だったようだ。
「先輩、大変なことになりましたよ」
 少女が男性へ駆け寄る。
 近づいてみると少女はだいぶ背が低かった。したがって、実際のところもう1人の女性は別段背が高いわけではないようである。
 少女はちらりと海人を見たが、すぐに視線を男性へと戻した。それから息を1つ吐き、口を開いた。

「うちの漫研、無くなっちゃうかもしれません!」




部室に入ると海人は正座をした。
先の男性が足をくずすことを勧めたが、それを海人はやんわりと断った。緊張の糸がプツリと切れてしまいそうだったからだ。
上級生の口論が海人の背後で続いている。

いきなり廃部の危機、か。海人はため息をついた。
部室には漫画が余すところ無く積んであった。少年漫画、少女漫画から、官能、グロ、ホモ、レズ、萌え…か。すさまじいコントラスト。世も末だ。
「―…新入部員が来てるんだ。」
話半分に聞いていた上級生の会話の中「新入部員」という単語に海人は思わず反応し、現実に引き戻された。
蛍光灯が一度点滅する。
背の低い少女はもう一度海人に目を向けた。少女のやわらかい髪が弾む。
「はじめまして。二年の工藤です。」
「あ…はじめまして…一年の喜屋武海人です。」
お互いに礼をする。工藤はくりっとした目を海人にむけた。廃部の件はとりあえず一時休戦にしたようで表情は落ち着きをとりもどしていた。
「ごめんなさいね。いきなり廃部だとか…」
何があったのか、海人はおそるおそる訊いた。
三人は顔を見合わせる。

「―この間うちの部に生徒会の視察が入ったのよ。この頃、漫画とかゲームとか青少年に悪影響だと言われてるじゃない?それで前々から生徒会の方にPTAから圧力がかかってたらしいの。」と、工藤が言う。
「アウトだって…。あたしも一生懸命、弁護したんだけどね。」
と、もう一人の女子部員がため息をついた。
工藤が敬語を使っていたことから、おそらく三年生だろう。
「…弁護はこの部室で…?」
海人は尋ねた。
この一貫性の無い無法地帯で「あやしくないです。」と一生懸命弁護した、と。

「うん。でも、今よりもうちょっと散らかってて…。」
女は手をこねくり回す。
「いろんなシーンが、開きっぱなしだったけれど。てへっ。」
海人は自らの交友網の狭さもあってか自分で「てへっ」という女を初めて見た。
「ちょっと、どのシーンですか?」
工藤はため息まじりに訊いた。
ため息まじりに訊いていたはずなのに話がだんだん盛り上がっていくのはどういうわけだろう。
どのシーンを開いててどういう風にやばかったかという話が本題そっちのけで進んでいる。
女子部員のスカートのすそが揺れている。身振り手振り大げさに語られる、武勇伝、武勇伝。
その内容は男の海人には頭が痛いものだった。

「なるほど、これは説得力ないね。」
先ほどの男は苦笑した。
「えっと…今回は印象悪かった訳ですから、次は印象を良くしたら…どうですか。いきなり、部活動停止というわけではないのでしょう?」
海人は顔をあげた。
女性陣の話もやっと止まる。
「…印象…って言っても…漫研が真剣になるのは原稿ぐらいで視察の時には…」
言いかけて、工藤はあっと息を飲んだ。
「作品!」
部員の声が重なった。

「作品見てもらえれば…何とかなるかもしれないな。今度は俺がちゃんと生徒会に説明するよ。」
男が立ち上がった。今度は、俺が、ちゃんと、に強いアクセントがついていた。
「しかし…俺も含めてだけど、漫画の描写に制限かけないと前回の二の舞になるね。新たに作品作るしかないか。」
男は靴を履く。
「そんなに内容危ないんですか?」
と、海人は首をかしげた。
「というより、ターゲットが何にでも犯罪の芽を作りたがる性質だからね。」
男は二度程靴先を地面に当てると、部室のドアを閉めた。
「とにかくPTAの好きそうな漫画を描けばいいのね…。」
工藤は、はあとため息をついた。今度は本当に気分が乗らないらしい。
PTAの好きそうな漫画…と、女は目を瞑った。
「レディコミ!」ぽんと手を叩く。
違います。と工藤がつっこんだ。
「PTAが読みたい漫画じゃなくて、自分の子供に描いてて欲しい漫画を描くんですよ!明るく元気に育った子供が描きそうな漫画です!」
と、女は工藤に怒られている。
もう二言三言会話した後、二人は机に向かった。構想を練っているようだ。

明るく元気に…か。僕はそう育っているだろうか。
海人の脳裏にそんな疑問がわいた。
二人の描いている絵に視線をあわせた。上手い。
海人は思わず覗き込む。
工藤はくすりと笑った。
描き方を見るのが面白くて、あっという間に時間がたってしまった。
「海人くんの作品、楽しみにしてるから。」
工藤が去り際にそう言い放った。
海人は目を丸くした。
海人は一度も漫画を描いたことが無かったのだ。

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