リレー小説 vol1 A
『まんけん』2p
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どうしよう。 帰宅した海人は、制服姿のまま、ベッドに倒れるように寝転がった。 作品だって? そんなの、一度も描いたことなんかないのに。 「はぁ〜あ…」 溜め息混じりに寝返りを打つ。 ふと、海人は手元にあった漫画を拾い上げた。彼が愛読している漫画の一つ、「フェアリーズ」である。ゲーム好きの中学生の少年が、ある日突然RPGの世界にワープしてしまうという、至ってありがちな設定の物語である。ただ、その少年の手助けをしてくれる妖精達が、いわゆる「萌」要素を含んだ魅力的なキャラ達で、尚且つ、一話一話ごとに「ファンタジーの毒」と呼ばれる鋭い指摘が詰まった内容となっており、オタク業界ではちょっとした話題になっている…らしい。 海人は何気なく、手に取った漫画のページを開いた。 「うーん…」 起き上がって、じっとそのページを凝視する。 試しに、海人は目に付いた一コマを模写してみることにした。 机に向かい、シャーペンを握ってノートを開く。 部室で見た工藤達の描き方を思い起こしつつ、海人は高校受験以来の集中力をこの模写作業に向けた。 ペンを走らせ、一先ず途中経過を見る。 「う、これは…」 思わず言葉に窮する。 海人が模写したのは、アルセリアという名の妖精少女だった。特に好きなキャラ、という訳ではないのだが、描き易そうな立ち姿が目に留まったので、取り合えずモデルにしてみた。 だが、それはお世辞にも上手いと言えるものではなかった。 彼女は「春の妖精」で、ピンク色の長髪と、くりっとしたエメラルド色の瞳をした美少女である。間延びした口調の敬語が特徴的な、おっとり天然系萌キャラである彼女は、その筋では結構人気のキャラであるらしく、ネット上でもしばしばその情報が流れている。 しかしながら、海人が描いたアルセリアは、体のバランスが異様に歪んでおり、顔もまるで福笑い状態であった。これでは、妖精と言うよりも妖怪である。小学生以下のレベルと言っても過言ではない。 「…やっぱマズイよな、うん」 頷きながら、海人はそのノートのページを破り捨てた。 はぁあ〜、と再び溜め息をつく。 『楽しみにしてるから』 不意に、工藤の顔が頭に浮かんだ。 「…いや、いくら何でも、今すぐ作品を描けってことはないよなぁ」 ははは、と一人で苦笑しつつ、海人は手元の「フェアリーズ」をめくった。 多分、技術を磨く時間くらいはある筈だ。 まさか、新入部員にいきなり作品を出せ、ということもないだろう。 そう思いながらも、何故か不安は拭いきれなかった。 次の日。 「…へ?」 海人は我が耳を疑った。 「いや、新入部員にいきなりこんなこと言うのも悪いとは思うんだけどね」 昨日の背の高い男性部員が、若干申し訳なさそうに苦笑した。 「どうやら、君にも一つ、イラストか何かを描いてもらうことになりそうなんだ」 「ど、どど、どういうことですか!」 海人が尋ねると、奥の方に腰掛けていた工藤が、髪を弾ませながら歩み寄ってきた。 「要するに、生徒会へのアピールよ。後輩にはちゃんと、真面目な作品を手がけさせるようにしています、ってね。新入部員がPTA好みの作品を描くタイプだったら、後々この部が残ることになっても大丈夫だって思ってもらえるでしょ?」 工藤がにこやかに言った。 「正直言うと、それで作品数を稼いで、部員数的な問題も覆い隠しちゃおっかなー、っていう戦法なんだけどね」 奥で原稿を描いていたもう一人の女性部員が、どこぞのイメージキャラクターのように、舌を出して愛らしく笑った。その仕草は、年齢的には少々アウトだが、彼女がやると何故か不快にならない。 「別に、そう気張る必要はないよ」 男性部員が、励ますようにポンと肩を叩いた。 「何か分からないこととかがあれば教えるから。まずは、全年齢対象作品についてからかな?」 人の良い微笑を浮かべているが、言うことは少しズレている。 入部早々、喜屋武海人は未曾有の大ピンチに直面した。 |
〆切1日前。 海人の部屋の机の上には散乱したコピー用紙の束。その全てに先日描いた「フェアリーズ」のキャラクターの下書きが描かれていた。 どの絵も線が歪で、バランスも悪い。 つまり、海人は少しも上達していなかった。 当の海人はというと、 「ああぁうおおおぉおおぉぉぉぅ……」 ベッドの上で頭を抱えながら自責の念にかられていた。 無理無理無理だ。いくら描いても全然上手くならない。まさか自分が線もまっすぐに引けないとは思いもしなかった。 もう「フェアリーズの作者、ちょっと絵が下手だよね」なんて言えないじゃないか。 しかもずっと力んで描いていたせいか手が痛い。いや、手だけじゃない。長時間同じ姿勢で座っていたから体全体も痛い。慣れない事するからだ。 それにしても、「絵を描く」という行為はこうまでして疲れるものなのか…… ――ああ、くそ。 なのに何で僕はあの時断らなかったんだろう。 『絵なんてろくに描いたことありません。画力だって無いし、僕の絵なんか一緒に 出したら皆さんのレベルを下げてしまいます』 そう言って前の日に描いた絵をつきつけてやればよかったんだ。僕はこんなにも絵が下手なんだって。 そうやって、はっきり描けないと言えばよかったんだ…… どうして断れなかったんだろう。 ……それは笑顔だ。 自分に向けられた、期待を隠せない笑顔。 僕は、人から期待されると裏切ってはならないと考えてしまう。いや、考えるまでに至らない。心の奥にインプットされているのだ。 「人を裏切るな」「がっかりさせるな」 それをイドとでもいうのだろうか。 僕のイドは他人の反応に敏感だ。人が僕に不快信号を発信するのを極端に嫌がる。だからそれを回避しようと、僕が意識する前に、僕の体を勝手に動かしてしまう。 でもイドはバカだから、目の前の不快を回避できても、いくらか後にくるそれよりも大きな不快から逃げることができないんだ。 「結局何も描かないまま来てしまった……」 海人はドアの前で立ち尽くしていた。 中からは3人の話し声が聞こえる。 いっそ誰かがこの扉を開けてくれたら。そう思った。 誰かが戸を開けて、自分を発見して、中に招き入れてくれたら…… 海人は大きく息を吸う。 この扉は、自分で開かなければならない。 こういう展開になったのは自分のミスだ。 海人は手を扉の方にゆっくりと近づける。 |
ガラリという音とともに扉を開けた。 「あー、来た。海人くん!」 扉を開けた途端に工藤の笑顔を見て、海人はますます帰りたくなってしまった。室内の3人は、机の上の原稿に向っていた。各々ペンを持ち、原稿の仕上げに取り掛かっているようだった。 「・・・・仕上がりました?」 3人の原稿を覗き込みながら、海人はおそるおそる訊ねた。 「それがねー、3人ともまだなの。でももう少し!」 「私は昨日徹夜なのぉ〜。」 もう一人の女性部員―加藤はそう言いながら眠そうに目をこすった。確かにその目はいつもより赤く充血している。しかしそのかいもあってか、手元の原稿はだいぶ仕上がりかけている。 「今回はいつもより頑張ったわよ〜!なんたって廃部の危機を脱するためだもの!・・・・内容的には ちょっとやる気出なかったけど。」 「・・・・いつも先輩が書いてるものが、ちょっと濃すぎるんです。」 「え〜、そんなことないと思うけどなぁ〜。」 人差し指を顎に当て、かわいらしく首をかしげながら加藤はそう言った。以前から思っていたが、彼女の仕草はいちいち漫画かアニメのキャラクターのようだ。・・・さすが漫研部員というべきか。 「まぁそれはともかく、確かに今回は二人とも頑張ってると思うよ。内容も悪くない。」 「そう言う小橋川くんも今回かなり内容作りこんだでしょう?すごくいい〜。」 加藤にそう言われた彼は、爽やかな笑顔で「ありがとう」と言った。 目の前で繰り広げられる会話に、海人はますます居心地が悪くなってきた。3人とも「やるだけやった」という達成感に満ち溢れ、今の海人にはやたらと輝いて見えた。こんな3人に、自分は結局何も描けていないのだということをこれから言わねばならないのかと思うと、鉛でも飲み込んだように胸がズシリと重くなった。 ふと、小橋川が立ったままの海人を見上げた。 「君はどうだい?もう仕上がった?」 来た。 心臓が、針にでも刺されたように痛んだ。 だが言わなくては。こうなったのは自分の責任なのだから、せめて最後のけじめはしっかり付けなければならないと、そう思って海人は口を開いた。 「それが・・・その・・・結局何も描けてなくて・・・すみません・・・。」 顔を上げることができなかった。3人の・・・特に工藤の顔を見る勇気がなかった。自分に向けられたあの笑顔が、崩れるのを見たくなかった。 |
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