リレー小説vol1 A

『まんけん』3p

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 沈黙が部屋を包んだ。

 が、それは一瞬の後に、
「まだ1日あります!」
 という工藤の声によって破られた。
「確かに、な」
「そうそう、なんとかなるよぉ〜」
 工藤の言葉に残りの2人も同意する。

「俺はほとんど終わりだし、海人くんを手伝おう。2人はそのまま仕上げを続けてくれ」
「ごめんねぇ〜、小橋川くん」
「すみません先輩。海人くんも頑張って!」
 そう言うと2人は作業を再開した。
 小橋川も一通り机の上を片付けて海人の方を向き、
「海人くんも早く座って」
 と言った。

 海人は驚いていた。
 3人が何事も無かった様に接してくる、それが彼を動揺させていた。
「僕は何も出来てない、なのに何も言わないんですか」
 言いながら、海人の手は汗ばんでいた。
 小橋川はきょとんとしたが、すぐに彼特有の人懐っこい笑みを浮かべた。
「正直に言えば、俺は君がもう部室に来ないかもしれないと思った。でも――」
 小橋川は海人へと視線を向ける。
「君はきちんと来てくれた。それで十分だと俺は思うよ」
「小橋川さん……」
 海人は驚いていた。だがそれは、先ほどとは別の驚きだ。
「ほら、海人くん! とっとと絵を描く! もう今日しか無いんだよ!」
 工藤が顔を上げて怒鳴る。しかし、その顔は笑っている。
「すみません、すぐ始めます」
 そう言いながら、ようやく海人は腰を下ろした。


 ふと、海人が顔を上げると外はもう真っ暗だった。
 作品は半分近くまで仕上がっていた。
「疲れたかい?」
 小橋川が尋ねる。
「いえ、大丈夫です」
「そうか……でも切りもいいし、ここらで一息入れよう」
 小橋川は大きく伸びをした。
「ありがとうございます。なんとかここまで仕上がったのも小橋川さんのおかげです」
 海人は頭を下げた。
「俺は口出ししかしていない。描いたのは海人くんだよ」
「いえ、小橋川さんのアドバイスがなかったらとても……」

 小橋川自身は確かに海人の作品には少しも手を加えていない。だが実際海人の言うとおり、彼は海人の作業に付きっきりだった。しかも、その上で自分の作品は完成させている。
「そう言われると悪い気はしないね」
 小橋川が笑う。
 その時だった。
 加藤が突如震えだした。
 初めはかすかに震えていたのが、ガタガタと震えだし、そして、
「お、終わったぁぁーーー!!!」
 と叫んだ。
「あ、出来ましたか。おめでとうございます」
 工藤が顔を上げた。
「俺も終わり。残ってるのは工藤さんと海人くん」
「う〜、私もうかうかしてられませんね」
 工藤はそれだけ言うとまた自分の作業に戻った。

「ん〜小橋川くん、作業が終わったって言ったよねぇ〜」
 加藤が首を傾けながら聞いてくる。
「確かに、俺自身の作業は終わったが――」
「じゃぁ荷物持ちね」
 加藤が小橋川の言葉をさえぎる。
「おい、ちょっと待て、あのな――」
「あたしはこれから帰りますが、あたしの荷物はあたしのようなか弱い女の子が持つにはいささか重い荷物です。そこで小橋川くん、あなたにあたしの荷物持ちをさせてあげましょう!」
 疲れのためか呂律の回らない口調で言うと、加藤は小橋川の腕をつかんで立ち上がり、彼に自分の荷物をすばやく持たせ、
「それでは、ごめんあそばせぇ〜」
 と言いながら、小橋川を引きずるように部室から出て行った。
 外からは抗議の声が聞こえたが、それも次第に遠ざかり、消えてしまった。

 海人があっけに取られていると、
「ごめんね、加藤先輩って徹夜で仕事してたりするといっつもああなの」
 と工藤が苦笑しながら言った。
 海人も苦笑しながら作業に戻ろうとした。しかし突然、
――ぴ〜んぽ〜んぱ〜んぽ〜ん。
 と、間の抜けた音が鳴り、その途端工藤の手が止まった。
――全校生徒の皆さん、下校の時刻です。生徒の皆さんはすみやかに下校してください。繰り返します。全校生徒の皆さん……。
 それを聞き、工藤は呻きをあげ、それから小さくため息をついた。

「こうなったら他に方法は無いわね。海人くん」
「はい!」
「これから私のうちで合宿です」
「はい?」
 驚く海人を尻目に工藤は言葉を続けた。
「どのみち学校ではもう作業はできないし、私だって多少のアドバイスはできるし。とにかく、行くわよ」
「いや、工藤さん、残りの作業だけなら僕だけでも――」
「先輩命令です! 行くと言ったら行きます!」
 もはや海人に工藤に逆らう力は無かった。
 それでも一応道中反論を試みたものの、きっかり1時間後には海人は工藤家の工藤自室に居り、その上、工藤の家族から好奇の視線を浴びる羽目になったのだった。




「ねえねえ、小橋川くん。」
 手まねきをする加藤。一方、手がふさがっている小橋川。
「あの二人フラグ立ってると思わない?」
 近くに一本立っていた街灯も半年前から点滅を繰り返し、三ヶ月前に切れてしまった。互いの顔が確認できない程暗かったが、小橋川は加藤が今どんな顔でにやついているか知っていた。
「…祐樹とアルセリア?今月号はいい感じになってたが、流れ的に由紀とくっつくんじゃないか?安心して読めるのがブームの一因でもあるし。」
 ちなみに祐樹はフェアリーズの主人公で、由紀は主人公の幼なじみだ。
「このあんぽんたん!」
 あんぽんたんなんて久しぶりに聞いた―そういう思いが頭をよぎりつつ、小橋川は加藤に顔を殴られる。荷物の重みで小橋川は予想以上によろめいた。

「工藤ちゃんと海人くんのこと」
「え…?ああ。」
 興味なさそうに小橋川は荷物を置いて信号が変わるのを待った。こんな道、車も通らないのに。
 加藤はつまらなさそうに石を蹴っている。電池が切れたらしい。
 工藤と喜屋武ね。話半分、加藤は徹夜明け。
 小橋川は息を吐く。
 信号が変わり、二人の学生が歩き出す。男は荷物を再び抱え、女学生は一言自嘲すると走り出した。

 厭世的だわ。
 駆けだした先にいた野良犬は彼女に関心も示すことなく、次のゴミだめを探しにいった。
 足が止まる。興味を持続させる気力は残っていないようだ。
「明日は雨かなぁ。」
 加藤は空を見上げた。
「空が呪ってるや。」
 今から一時間前のことである。

 そして現在、海人は今まで生きてきた中で最も集中力が散漫になっていた。
 編入試験の前日以上だ。親の左遷、十日前に知らされた転校、必死で受験勉強をやり直し、そして九日目ついに切れた集中力。あの日以上に集中力が下がる日がくるとは。
 海人の頭の中は未だに混乱していた。今まで女の子の部屋になんてあがったこともなかった。

 音をたててドアが開く。コーヒーのいい香りがたちこめた。
 徹夜だろうね。と工藤が苦笑いする。
 盆には円柱形の小さな白いカップ。工藤はいつのまにか部屋着に着替えていた。ゆったりとしたトレーナーにロングスカート。
 海人の心拍数があがる。
 緊張で喉が渇いて、海人はコーヒーに口をつける。コーヒーの苦さが口いっぱいに広がっ―苦すぎる。
「もしかして、エスプレッソ飲んだこと無かった?」
 海人は工藤のその言葉に頷く。
 思い切り飲んでしまった。息を吐くと周り中コーヒーの香りが漂う程に。蜘蛛はコーヒーに酔うというが、海人もそんな気分だった。今蜘蛛になったらでたらめな巣を張りそうだ。
 工藤もカップに口をつけた。
「やっぱり挽きたてはおいしい。」
 お客さん用に父がさっき挽いてくれたのよ。と、工藤は付け足した。
「でも気をつけてね。原稿汚すと大変だから。」
 工藤は自分の原稿をそろえた。

 ばたっ
 合宿がはじまってから丁度二時間、静寂が破られた音だった。
 工藤はドミノのように倒れた。海人は心臓が止まりそうになる。
「締切は明日の何時かしら…。」
 工藤は生存反応の代わりに海人に質問し、部屋の隅におかれたビーズクッションを天井に顔を向けたまま手繰り寄せた。
「…やばいんですか?」
「やばい。」
 工藤はクッションをつきたての餅のように伸ばす。
 お腹がすいた。
 海人は視線にさらされた状態で飯をかきこめる程気が大きくない。鉛のような飯というのはこういうことをいうんだろう。料理は塩気だけは感じるものの何の味もしなかった。

「海人くんだって、あんまり進んでないじゃない。」
「…何か落ち着かなくて。」と、海人は視線を泳がせた。
「素数を数えて落ち着くんだ。」
 工藤はクッションを床に置いて言った。
「素数は1と自分でしか割り切れない孤独な数字。私に勇気を与えてくれる。」
 二人の声が重なった。妙な間。
「でも、工藤さんの原稿、出来てません?」
 工藤の原稿はペン入れもベタも終わっていた。完成原稿と言われても海人は信じただろう。
「私、トーンっ娘だから。」
 工藤はクッションを叩く。
「トーン指定も全部やったのよ。妥協したくない。他人が無駄だと思うことに神経をつぎ込む。それがオタクというものだわ。」
 工藤はしばらく天井を見つめて、起きた。

「よし、がんばろう。」
 工藤は作業を再開する。
 紙に細かく指定されたトーン番号、下書きの青鉛筆の枠。海人には解読不能な情報が山ほど詰まっている。
 神経をつぎ込む。海人はその台詞を反芻する。
「よし、がんばろう。」
 海人は両手で頬を叩く。
 マネすんな。と、工藤は笑った。





 翌朝。
 海人は目を覚ました。どうやら、力尽きて寝入ってしまっていたらしい。慌てて顔を上げるが、そう焦る必要もなかった。
 彼の描いたアルセリアは、既に完成していた。決して上手い、とは言えないが、そこには努力の成果が見て取れた。
 そして。

「うぅ〜ん…」
 甲高い唸り声。すると、テーブルの向こう側で、大きな布袋に詰め込まれたような何かが、もぞもぞと動いた。
 布からにゅっと伸び出た、細く白い生足。
 それが女性のものだと気付いて、思わず海人は飛びのいた。布袋のように見えたのは、薄いオレンジ色のブランケット。その中で、すやすやと静かに寝息を立てている少女は無論―。
「く、くく、工藤先輩…!」
 口をぱくぱくと開閉させて、寝惚け眼だった海人は、ようやくこの現状を理解した。要するに、彼は自宅ではなく、工藤の家で絵を完成させたのである。

 人生初、女の子の家での一泊。
 合宿とは言っていたが、これは少々、世間的にマズいのではないか。
 頭をぼりぼりと掻きながら、海人は工藤の寝姿を見やった。
 色気はあまりないが、ブランケットから覗いた足は綺麗で、隙だらけの寝顔は、男性を誘惑する魔性の女と言うよりも、心地よく寝入っている無邪気な天使のようだった。
 心拍数が上がる。
 色気がある訳でもないのに、その姿は海人の心臓をバクバクさせた。顔が火照り、思わず視線を逸らす。
 と、工藤が寝返りを打ち、ミルクを乞う子犬のような声を上げた。
「んん〜…?」
 工藤が目を覚ました。瞼を擦りながら、こちらに首を向ける。

「あ、お早〜う、海人君…」
「お、お早うございます」
 ぎくしゃくしつつも応じる。起き上がった工藤は、ふぁあ〜、と大きな欠伸をして、テーブルの上の絵に目をやった。
「どうにか締め切りに間に合ったみたいだね、お互い」
 にこりと微笑む工藤に、海人はやや苦笑気味で答えた。工藤は柔らかな髪を弾ませて卓上の時計を見た。

「…っあぁぁぁー!」

 突然の絶叫。
 海人は驚きのあまり身じろぎし、テーブルの足に向こう脛を打ちつけた。痛みにうずくまりながらも、涙目で工藤に問いかける。
「一体どうしたんですか、先輩…」
「もう八時回ってるじゃない! 学校遅刻よ、遅刻!」
「…えぇえっ!」
 海人も慌てて立ち上がった。最早先刻の工藤の寝姿など頭にない。大急ぎで二人は荷物を整え、寝起きそのままの顔で学校へと向かったのだった。

 必死の全力疾走も空しく、海人と工藤は揃って十五分程遅刻した。転入早々の遅刻だったせいか、海人は教師に白い目で見られ、少々居心地の悪い気分を味わった。
 放課後、海人は仕上がった絵を手に、部室へと足を運んだ。
 部室に入ると、小橋川が親しみ易い笑顔で海人を迎えた。二、三言葉を交わし、完成した絵を手渡す。
「…へぇ。結構いい出来じゃない」
 後ろから覗き込んだ加藤が笑みを零した。
「先輩達ほどじゃないですよ」
 謙遜したが、褒められて海人は内心嬉しかった。今までの苦労がその言葉で全て報われたような、そんな気さえした。
 と、不意にドアが開いた。
 入ってきたのは工藤だ。若干顔に疲れが見えるものの、仕上がった原稿はしっかりと小橋川に差し出した。
「これで作品は無事、締め切りに間に合った訳だな。あとは、生徒会の視察を待つばかり…」
 小橋川がそう言い終わるが早いか、部室のドアがガラリと開いた。

 入ってきたのは、小柄だががっしりとした体躯の、応援団長のような男子生徒だった。
「早速来たな。しかも、偉い奴の方が」
 小橋川がやや皮肉っぽい微笑を浮かべる。
「え、偉い方って…?」
「あれがうちの学校の生徒会長の石橋渡よ。変な名前でしょ?」
 加藤が可愛さを売りにしたような笑顔で言った。



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