リレー小説 vol2 A

『完璧な愚者』1p

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桜が咲いていて、花びらがひらひらと舞い散っている。
ああ、まさに…
サクラチル
俺は一つため息をついた。
7つも大学を受けて、全部落ちるとは思わなかった。
自分はそこまで馬鹿じゃないと思っていた。
俺は柳の石畳の通りを歩いていく。
通りの横を透明な水が流れていた。
もともとは禊をするための神聖な水らしいのだが、この町ではそんな水はいたるところを流れていて、要するに俺にとっては神聖さもへったくれもなかった。
俺は一人になりたいときは神社に行くことにしていた。

家の近くには神社が山ほどあった。
というより家の近くには、それ以外何もなかった。
自然に囲まれたいい感じの神社ばかりなのだが観光客が来るには知名度が低く、地元の人は見慣れすぎていた。
一人になりたい今の自分には好都合の場所だった。
そばを流れる川の音を聞きながら、俺はこの辺で二番目に長い石段を登っていた。
なぜ二番目かというと、一番目に長い石段には俺の絵馬が飾ってあるためだ。

"城戸朝美と同じ大学に合格しますように"
城戸朝美はクラスで一番かわいい女の子だった。
場違いなカラーマジック。
ハートマークとかをつけていたかもしれない。
城戸の受けた大学から何ランク落としたところでさえ受からなかったのだろう。
見たくない。投げ捨てたい。
羞恥心が駆け上るスピードを加速させる。
早足で、駆け足で、長い石段を駆け上る。
石段の一段一段がちょうど苦しくなるような高さに設定されている気がした。
「石段に悪意を感じるぞ、悪意を」
何か世の中、全部、俺に対する悪意を持ってる気がする。
そこまで考えて自分の頭の悪さに思わず自嘲した。

青々とした竹が揺れる。
川の流れる音がした。
俺は足を止めて、肩で息をする。
「ったく、何段あるんだ、これ…」
そう思って見上げる。
見上げた瞬間に女の子が石段のてっぺんから後ろ向きに飛んだ。
きっちりと両足をそろえて飛んだ。
そのためらいのなさは何だか少し儀式めいていた。
落ちてくる。
俺の真下に。
俺が逃げたら、彼女は死ぬだろう。
俺が逃げなかったら、俺が死ぬかも。
そうだ、俺は物理選択生。物理の力で何とか―…ならないよ、ね。
―嫌だ、今、死にたくない。
今死んだら、俺は18歳の無職の少年で報道される。
まがりなりにも真面目に生きてきたのだ、そんな最期ってないだろ。
そんなことを考えているうちに俺は逃げられなくなってしまった。
ああ、山田光信、享年18歳…。

「痛ッてえ…」
意識があった。
激痛、これが激痛というものなのか。
折れた?折れたよな…。すごい音がしたもんな。
しかし、どうやら足だけの怪我ですみそうだった。
女の子が細かったためだろう。
背中を打ったのだろうか、咳き込んでいる。
「大丈夫ですか?」
咳の混じった声で女の子は言った。
大丈夫と俺は返す。
本当は大丈夫じゃなかった。
しかし大丈夫じゃないというのはイレギュラーな答えで、イレギュラーな答えというものは標準的な答えに比べて口に出すのにエネルギーが必要なのだ。

「…すみません、あたし、うっかり足踏み外しちゃって…。今、救急車呼びますね!」
うっかりじゃねえだろ、あの飛び方は。
俺はそう言いたかったけれど足が痛くて声が出せなかった。
そもそも俺もそこまでデリカシーのないことは言えない。
今のは、自殺?…よくわからない。
痛みが思考の邪魔をする。
「痛ェ…マジで痛い…」
石段の端に赤いものがついているため、一段一段がくっきりと見えていた。
その先には俺の足があった。
血まみれの傷口から白いものが見えた。
骨。
「スゲえことなってるよ…痛えよ、マジで痛え…。」
痛い以外の言葉が言えない。見つからない。
俺の語彙力はこんなもんじゃなかったはずだ。
落ちてきた女の子の声が聞こえる。
すみません、救急車お願いします、場所は…
その声には聞き覚えがあった。
果野実の声だった。




「もう帰ってくれないか?」
そう言った時の沢井果野美の顔を思い出すと、少し胸が痛む。
小さな身体をさらに小さくしたその姿は、どうやら俺から怒る気力を奪ってしまったようだ。
沢井果野美とは、俺は別に親しくない。確かに学校では同じクラスだし、親父さんが神主をやっていて、正月には巫女姿でその手伝いをしているという話くらいは知っていたが、特に興味は無かった。
むしろ、クラスの奴らが全員それを見に行くのをいいことに、俺は例の一番坂の神社、大山神社に絵馬を書きに行ったのだ。
「…すると、アイツの親父さんって、二番坂…海坂神社の神主だったのか…でも、何であんな事してたんだ?」
あまり清潔でない自室のベッドに横たわりながら、俺は少し考え込んだが、すぐにやめた。
何もかもがどうでもよかった。大学は全部落ちた。さらにこのケガだ。元気を出せという方が無理である。

沈んだ気分に浸りながら、ぼんやり窓の外を眺めた。二階のこの部屋からは、夜の闇の向こう、遠くに海坂神社が見える。そして近くには、庭にある花の散った桜と…女性らしきシルエット。
「元気出せよ光っちゃん」
「うおぉっ!?…その声は菜月か?何やってんだお前!」
あまりの驚きにベッドから転げ落ちそうになった俺は、あわやのところで横から支えられた。
「…何って…見舞い」
「清春!?お前もか!」
振り向くとそこには、幼なじみの伊藤清春が、ドアの音もたてずに部屋に入り込んでいた。

「見舞いって…何でもう知ってんだ?俺はさっき病院から帰ってきたばっかなんだぞ。」
「にゃははっ、光っちゃんの事なら何でもお見通しさっ!」
窓枠に座り、いそいそとクツを脱ぎながら菜月がおどける。清春は黙っている。いつもこうなのだ。
この非常識な双子の兄妹は、事あるごとに俺をからかいにいきなりやってくる。
少し前までは俺もそれを楽しんでいたのだが、今は不愉快な思いの方が強い。
それは受験の失敗のせいでも、ケガのせいでもなかった。
城戸朝美。彼女が、この美形の幼なじみに想いをよせているという事実を、知ってしまっているからだ。

「何でケガした事知ってるんだよ?」
机の上一面に、俺の不合格通知を広げて大喜びしている菜月を無視し、清春にもう一度聞いた。
「…果野美に…聞いたから」
「果野美に?何でだ?仲良いのかお前ら。」
「あれ?光っちゃん知らなかったの?」
涙目の菜月が、逆に質問を返してきた。
「は?何を?」
「清春とかのちゃんって、二年の時から付き合ってるんだよ。」
一瞬の、沈黙。

「はあぁ〜〜!?」
「…光信…それも踏まえた上で…お前に話がある」
混乱している、頭が。いやそれ以上に心が。
それでも、ふりしぼり声を出す。
「何だ…?」
「…少し、長い。ただ、その前に…」
再び、沈黙。ただし今度はさっきよりも長い。
清春の顔を見る。普段は無口で無表情の男が、めずらしくためらいの表情をしている。
菜月に視線を移す。何とも言えない表情、懸命に真顔を作っている。まずい、確かこの顔をしている時は決まって…
「…絵馬…見たぞ」

……もし、もし、人生のシナリオを書く神様のような存在がいるとしたら、それはきっと一人一人担当者が違うことだろう。
そして俺についてるソイツは、きっと俺のようにヒネクレ者で、嫌なヤツに違いない。
ああ、もういっそ誰か俺を殺してくれ!

菜月の笑い声だけが、大きく響いた…。




 最悪だ。もう、何もかも最低だ。
 最も知られたくないことを、よりによって、この二人に知られてしまうなんて。
 人生最大の悪夢。
 これがいっそ夢であってくれたら、どんなにいいだろう。
 しかも、その後の理解に苦しむ二人の話。

「…果野実…もうじき死ぬ」
「…は?」
 思わず表情が歪んだ。
「…らしい。多分…」
「た、多分って何だよ、多分って!」
 俺はつい突っ込みを入れてしまった。しばしば、清春の話は要領を得ないことがある。眉を顰めたままの俺に、今度は菜月が口を開いた。
「う〜ん、これには深ぁ〜い事情があってねぇ。光っちゃん、キューちゃんのこと覚えてる?」
「キュー…ちゃん?」
 あの有名な某アニメのキャラクターか?
 俺が首を傾げると、菜月は呆れたような、馬鹿にしたようにもとれる顔で俺を見やった。
「ひょっとして、覚えてないのぉ?光っちゃん、記憶力悪ぅ〜。そんなんだから、大学七つも落ちちゃうんだよ、七つも!」
「放っとけ!」
 菜月はにゃははは、と大声で笑った。物凄く人を馬鹿にした態度だ。正直、俺はこいつを本気で東京湾に沈めてやろうかとさえ思った。

「…黒山…」
 清春がぼそりと呟く。
「…黒山、久一。色白で小っこい…子パンダみたいな…」
「……ああっ!」
 思い出した。黒山久一、よく教室の隅で分厚い本を読んでいた奴で、俺はあまり言葉を交わしたことはないが、確か、人類の規格から大きく外れた運動オンチだった筈だ。
「んで、その黒山と、果野実が近々死ぬってことと、一体どーいう関係があんだよ?」
 俺は半ば投げやりに尋ねた。今の状態で、こいつらの与太話に付き合っていられる程、俺は寛容でも楽観的でもなかった。

「…城戸朝美……」
 清春が呟いた名前に、思わずピクッと反応する。
「そうそう、ここであっちゃんが出てくるのさ、君の愛しのお姫様がさぁっ!」
「いちいち煩いんだよ、お前!もう黙ってろ!」
 菜月にからかわれ、俺は著しく機嫌を損ねた。
「んで、何でそこで城戸が出てくるんだ?」
「…呪い……」
「…はぁっ!?」
 思わず声が裏返る。
「城戸が…黒山に頼んで…果野実に呪いを…」

 俺は呆然とした。清春は時折、痛烈な皮肉をさりげなく言うことはある。しかし、あまり冗談を言う性格ではなかった筈だ。その清春が、まさか真顔で呪い≠ネんて単語を口にするなんて。
「んなアホな話があるかよ」
 呆れて言い捨てる。
「えぇっ!ひょっとして、光っちゃん知らないの?」
 菜月が驚いて声を上ずらせた。
「キューちゃんっていったら、本当に人を呪い殺せるって評判で、よく色んな人に頼まれてたじゃん。恨み晴らし代行、とか言ってさ」
 初耳だ、そんなの。
 俺は思わず菜月を見やった。


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