リレー小説 vol2 A

『完璧な愚者』5p

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「絶対助けるから!」
聞き覚えのある声。その数瞬後に茂み全体に気味の悪い笑い声があたりに満ちた。口の前にラップか何かをあててその上で無理矢理出したような耳障りな声に、俺はなんとなくこいつが黒川の声だと直感した。以前に学校で聞いたあいつの声は、もう少しマシだったような気もしないではないが。
やがて視界を塞いでいた木々を抜けると、目の前に真っ黒なナニモノカが居座っていた。
「おわっ何だこりゃ!」
思わず叫ぶと、それに反応したのかナニモノカはぶるりと身震いして、また余計に大きくなる。ついでに表面から長い手のようなものが一本飛び出て、俺の松葉杖をひったくろうとしてきた
「こ、の!」
地面に飛び込むような形で真横に飛んで、何とか事なきを得るが、着地の瞬間に骨折した足に激痛が走った。あまりの痛みに言葉もなくす。そこに再び腕が迫り来る。腕はあまり素早い動きは見せないものの、どうにもこちらの状態が悪すぎる。二度三度と避けている間に次第に追いつめられていき、いよいよ捕まると思ったその時、声が響いた。
「山田君!?」
見ると、城戸が、心底驚いたのと幾分かの失望とをない交ぜにしたような複雑な表情で現れた所だった。城戸の登場に面食らったのは真っ黒な化け物も同じらしく、一本だけ突きだした腕が俺と城戸のどちらを相手にしたものか迷うように、ふらふらと宙をさまよう。
さっきから思うんだが、コイツ外見が常識はずれな割には繰り出してくる攻撃のスピードも組み立てもいまいち上手くない。腕一本で殴りかかられても、軌道は読み易いわ、人間相手なら当然警戒すべきもう一方の腕とのコンビネーションがないわで、落ち着いて見ていればどうと言うことは無い。
そう落ち着いてさえいれば。だが。
「久一、どうして……」
城戸の言葉に気を取られたその刹那、奴の手が俺のシャツを捉えた。そのまま長く伸ばされた腕が本体へと引き込まれていくにつれ、シャツを握られたままの俺は半ば引き摺られるように本体へと近づいていく。
「くそ、放せよ!」
手にした松葉杖でさんざん打ち据えてやるが、コイツにはまったく効いた様子がない。ほとんど抵抗らしい抵抗も出来ないまま、奴の中へと放り込まれた。





投げ出されるも同然の形でそこに転がされる。奴の中だと思っていた場所は、意外にも外と全く同じ地面が存在した。ただ違うのは、周囲360度を真っ黒い何かが覆っているということ。何とか身体を起こそうとその壁に手を突こうとすると、鋭い一喝で止められた。
「ダメ、触るな!」
驚いて周りを見渡すと、声の主が近づいてくる気配がした。
「……お前も…来たのか…」
清春と果野実だった。そういえば、化け物と退治する直前に果野実の声が聞こえた気がしたが、どうやらそれは気のせいではなかったらしい。
いつまでもぶっ倒れてても仕方ないんで身体を起こそうとしていると、二人が手伝ってくれる。
「どうなってんだ、ここ。訳わかんねぇよ」
思わず口をついてでた言葉が単なる愚痴だと気がついて、自分の混乱っぷりを認識する。清春や果野実も、つい先ほどここに放り込まれたはずだ。そんな二人にこんな質問をしたところで、ろくな答えが返ってくるはずもないのに。
「さぁ?私だってわからない……」
案の定、二人とも困惑気味の表情だ。
「…一つ…わかることは……」
清春が足下の小石を拾う。外にあるのと変わらない、何の変哲もない小石。それを周囲の真っ黒に向けて投げた。壁だと思っていたそこを、小石はまっすぐに飛んでいく。俺が壁だと思いこんで手すり代わりに使おうとしたその場所は、壁どころか一切の障害のない、断崖絶壁だった。因みに、いつまでたっても投げた小石が地面に落ちた音は聞こえてこない。二度三度と大きめの石も放り込んでみたが、どれもこれも落下したときの破砕音などは一切聞こえてこなかった。
「どんだけ深いんだ、これ……」
つまりここは、入るは易く出るのは絶望的な、宵闇に覆われた牢獄なのだった。

「余計な人が入ってきた」
突然の声に振り返ると、この空間の丁度中心あたりにどこかで見かけた小柄な少年が立っていた。
「黒山」
呼ぶ声に震えが混じる。喉がからからで上手いこと声が出せない。つい先ほど、城戸が化け物に対して久一と呼びかけていた。この事態を作り上げたのはあいつだというのか。
「用事があるのはそこの二人だけだっていうのに」
自分の思い通りにならなかったことがそんなに腹立たしいのか、黒山は青白い顔をゆがませて俺をにらむ。別に俺だって来たくて来たんじゃぁない。お前の出した腕で強引に引っ張り込まれたんだ。負けずににらみ返すと、黒山はそそくさと視線をそらした。
「まあいいや」
視線をそらしたまま言う。誰に伝えるでもない、完全な独り言。
「ふざけんな!さっさと外に出せよ!」
「僕はもう行くから。君たちはせいぜい粘ると良いよ」
相変わらず視線がそっぽを向いたままで、こちらの台詞は完全スルー。それどころか、言いたいことだけ言うと霞のように消えてしまった。もともと、こちらの話を聞く気はなかったらしい。
「待って!」
「……!」
果野実と、少し遅れて清春が黒山に駆け寄るが、その時には黒山の姿は微塵も無くなっていた。
俺はというと二人に続こうとしてバランスを崩していた。
「うお、何だ!?」
いつの間にやら、俺たちが立っている空間がどんどん狭くなっている。それに気がつかないで松葉杖をつこうとして、完全に空を切ってしまったらしい。
「は、よ、ほ、とう!、……駄目だー!」
必死にバランスを取ろうとするが、あえなく失敗。身体は虚空側へと傾いていく。俺の様子に気がついた清春が戻ってくるが、とても間に合わない。
結果として俺の身体は虚無への自由落下を開始するのだった。墜落死の恐怖に気を失う直前、俺の頭をよぎったのは。
「ああ、本当に何やってるんだろう、俺」
なんていう、どうでも良いようなそうでも無いような台詞だった。




目が覚めて最初に見えたものは、家族の泣きはらした顔でもなくて、一緒の大学に行きたかったあの子でもなくて、腐れ縁のあの兄妹でもなくて。

俺たち当事者にしてみれば、ちょっと顔を知っている程度の人間の、得体の知れない暴走だったあの事件。世間一般ではそれなりに話題になった。

「数坂町神隠し事件」

あの妙な空間から閉め出された俺たちは、それぞれ捕らわれた場所から離れた場所で発見されたのだ。俺が一番近くて、井長神社の本殿。清春は東北のどこか。……地名は忘れた。果野実に至っては函館。ギリギリ北海道上陸。この飛ばされ方には何やら意思の介在を感じるが、主犯格は行方不明なので、今のところその真意を量る手だてはない。
そう、黒山久一は未だに行方不明だ。事件からそろそろ一週間がたつというのに、その足取りの痕跡すらつかめていないらしい。だからこそ、神隠しだのどうのと世間は騒ぐのだろう。

「やーやーやー、元気かな光っちゃん!」
やにわに病室の扉がひらき、うるさいほどに賑やかな見舞客たちが訪れる。まったく、同室のお子様が騒ぐから無理を言って個室にしてもらったのに、これではその甲斐がない。
「ええい、うるさい!元気ならこんなトコにいない!」
「ほほ〜?」
不機嫌な俺の切り返しに、菜月はいたずらっぽく目を細める。因みに素でいたずらっぽい顔なので、こういう表情をするとそれがさらにパワーアップしたりする。
「そんな事言っちゃって良いのかな〜?じゃ、昨日は左足でたっぷり楽しんだんで、今日は右足で行っちゃいましょう!」
俺の骨折は両足になっていた。例の空間から投げ出されたときに無意識に折れた足をかばったのか、かなり無理な姿勢で着地したらしい。
「山田君、こんな大怪我させてしまって済みません」
菜月に続いて病室に入ってきたのは城戸さん。親戚が行方不明になったり、縁のある神社からはご神体が消えたりと大変な騒動になっているのに、欠かさず俺の見舞いに来てくれる。有り難いことだ。
「光っちゃん、こっちにはそういう感情は無いのかな?いちおー毎日来てるハズなんだけど」
……お前はエスパーか?

午後には清春と果野実もやってきて、俺の晴れの姿を見たかったと言ってくれた。俺はこの春から、地元の大学に籍を置くことになったのだ。補欠の補欠でどうにか滑り込み合格というのが少し情けないが、この際文句は言うまい。入試全滅の気持ちで石段を登ったあの時よりは、多少はマシというものだ。

そして今、病室から望む夜桜の美しさに心和ませている。病院の関係者が揃って首を傾げるほどの遅咲きの桜は、決して立派な枝振りではない。けれど散る花びらを風に乗せて誇らしげに立っているその様は、素直に俺の心を打った。

あいつは自由になると言って、あの騒動を起こしたらしい。
この街から抜け出したあいつが、もしかすると、どこかで同じようにこの花を見ているのかもしれないと思いながら、俺はベッドサイドのランプを消した。



完.
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