リレー小説 vol2 A

『完璧な愚者』4p

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 ――同時刻。
「…大丈夫か、果野実」
 伊藤清春は、傍らの彼女・沢井果野実に向かって言った。一方、声をかけられた果野実は、その声に気付かなかったのか、辺りをきょろきょろと不安げに見回し続けていた。
「……」
 そんな彼女に、清春はもう一度声をかけようとはせず、黙って人混みの中を凝視した。
「…いないね」
 果野実がぽつりと呟く。清春は小さく頷いたが、彼女の言葉とは逆に、彼には一つの確信があった。
 確実に、黒山久一はここに来ている、と。

 ――呪ワレタ子供。
 四番坂に伝わる、忌まわしい伝説。
「…四番坂にぁなぁ、昔、鬼の住処があったっちゅう話があってなぁ」
 そんな祖母の言葉が、私の脳裏にこだました。
「僕は呪われているんだよ、朝美」
「鬼に呪われた人間の末路がどういうものか、知ってるかい?」
 彼はそう言って、私にあるものを見せた。
 大きな水晶球。
 中に血のような液体が閉じ込められているのを見て、思わず彼を見返した。
「海坂に嫁いだ鬼は、その後どうなったと思う?」
 真っ白な彼の頬に、赤黒い痣のようなものが浮き出たのを、私は確かに目にしたのだった。

「…なぁ」
 焼きもろこしを頬張る菜月に、俺は憮然としつつ言った。
「何してんだよ、お前?」
「ん? 何ってもっちろん、お祭り恒例、屋台美食巡りに決まってんじゃん!」
「いや、そういうことじゃなくって!」
 全く緊張感のない菜月に、俺は思わず元来の突っ込み気質を発揮した。
「城戸と黒山を捜しに来たんだろーが、俺達は! 本来の目的そっちのけで、一人で食い歩いてんじゃねぇよ!」
「何をおっしゃる、光っちゃんや」
 菜月はにゃははは、といつものムカつく笑い声を上げた。
「これも一つの下準備さ! ほら、昔っからよく言うじゃん? 腹が減ったらきび団子≠チて」
「絶対言わん!」
 大学を七つ落ちた俺でも、それくらいの間違いには気付く。
「何だよぅ、光っちゃんも焼きもろこし欲しいのかい? 何だったら一日五割の利息で、一つ奢ってあげるよ?」
「って、何だその法外な利率は! っつーか別に欲しくねぇ!」
「焼き鳥の方がいいの? んもう、ワガママだなぁ光っちゃんは」
「違ぁーうっ!」
 ――ああ、もう疲れた…。
 俺はがくりと肩を落とした。よりにもよって、何でこいつと二人っきりなんだろう。どうせならあの城戸朝美と一緒に祭りに来たかった…。
 なんてことを考えていると、菜月が俺の顔を覗き込んで言った。
「心配はご無用だぜ、光っちゃん!」
 俺の鼻先に食べかけの焼きもろこしを突きつける。
「大体、キューちゃんの居場所は予想できてんのさ! この菜月サマをなめてもらっちゃあ困るぜぃ!」
「へぇー…って、マジかよ、おい!」
 思わず声が上ずった。
「こんな時にウソをつく程、この菜月ちゃんは落ちぶれちゃあいないよーっだ」
 かなり説得力のない言い方だ。しかし、今はその一言が大きな希望となった。
「北の像と西の像が逆位置になってたっしょ? あれがそのポイントなんだよぉ〜」
 呪いには方角も重要な要素だからね〜、と菜月は焼きもろこしを口に運びながら言った。
「まぁ、今頃は清春が、かのちゃんと一緒に向かってる頃だろ〜ね〜。でも、やっぱ下手すると死んじゃうよなぁ、二人共。う〜ん…」
「そ、そんな悠長なこと言ってる場合か!」
 俺は思わず怒鳴った。 





さぁと音を立てて、この季節には珍しいにわか雨が訪れた。夏であるならば一時の涼を提供しつつもその後の蒸し暑さを予感させるそれは、今この時においては降りかかる者に冷気と何かしら奇妙な雰囲気を感じさせる空気を運んできた。
誰もが予報はずれの雨に慌てながらも、時間とともに上昇する祭りの熱気に、その些細な違和感を見逃している。
「いた!」
人混みから離れた茂み。行き交う人々の声も聞こえなくなるほど山に入り込んだその場所に、清春と果野実は探していた人物を捕捉する。周囲の山のために陽光はここまで届かず、本来ならばとても人捜しが出来るような状況ではなかっただろう。だが、今この時、この相手ばかりは、この薄闇の中でもはっきりと捉えることが出来る。宵闇よりも昏い空気を纏い、腕になにやら球体を抱え込んだ小柄な人影は、不意にかけられた怒気をはらんだ声に、ゆっくりと振り返った。

春の日差しが西の山に完全に隠れてから、城戸は自分の感覚が鋭敏になっていくのを感じた。太陽を象徴する女神を主神とする神道にあって、夜にこそその真価を発揮する、四番坂の血を嫌が応にも実感する瞬間。
常々、その特性を嫌悪してきた彼女だが、今日ばかりはそれに頼らざるをえなかった。
「!、見つけた」
目的達成が迫り、最早自分の力を隠そうともしない黒川。大きさは比較にならないものの、同種の力をもつ城戸は即座に黒川の居場所を知る。意外に距離があることが判ると、自分の勘の悪さに辟易しながらも走り出す。





「誰?……朝美?」
振り返った黒川は、周囲の漆黒をざわつかせながら人影に問うた。真っ黒な背景に黒ずくめの服を着ているのか、一見すると青白い顔だけが虚空に浮かんでいるようにも見える。不気味な空気にさらされながらも、果野実はずいと一歩前に出た。
「残念だけど私は城戸さんじゃないの。……あなた、黒川でしょ?」
果野実の言葉に、黒川は不思議そうに首をかしげる。
「おかしいな。朝美の他に僕を捜す人がいるなんて」
「それが居るのよ。私たち城戸さんに頼まれてね。貴方に会いたいから探して欲しいって」
「ふーん」
会話が続かない。何となく、果野実には虚ろな穴に向かって一人独白している気分だった。
「とにかく、城戸さんに連絡するから。悪いけど彼女が来るまで少し待っててね」
返事を期待せずに言いながら、腰に結わえた小物入れから携帯電話を取り出す。
果野実がごそごそと電話を操作している間も、一緒に走ってきた清春は一瞬たりとも黒川から目を離すことなく、その一挙手一投足に睨みをきかせている。
「あ、もしもし、城戸さん?沢井だけど」
果野実と城戸の会話はそこで途切れた。果野実が名乗った瞬間に黒川の周りを渦巻く漆黒が一部手を伸ばし、果野実の手から携帯電話をはじき飛ばしたのだった。
「何を!……え?」
抗議の声を上げようとして黒川に視線を戻した果野実の顔が凍り付く。
「へえ、君が沢井さんなんだ」
「……下がれ、果野実…!」
これまで全くの無表情だった黒川の顔に、初めて変化が起っていた。
きゅうと唇をつり上げ、目尻は逆に下がる。それに伴って、まぶたも心持ち閉じられて細目気味に。
黒川は、笑っているのだった。

「あ」
不意に声を上げ立ち止まる菜月に、俺はまたかと呆れた。
さっきからたこ焼き、射的、わたがし、お面屋などなど、ありとあらゆる出店の前で立ち止まっては、ご丁寧に全て攻略してきた。それも全部授業料名目で俺の財布から代金が飛んでいく。
「いい加減にしろよ。お前、自分の兄貴だってやばいんだろうが」
俺には、どうして清春が途中で抜け出して、果野実と二人だけで黒川を探しに行ったのかが判らなかった。居場所の目星がついたなら全員で乗り込むのが筋というものだろう。
「にゃはは、ダメだよ光っちゃん」
「何が」
「これはね、光っちゃんが自分で解かなきゃいけないナゾナゾなのよん」
言いながら、左手に持っていた水風船のヨーヨーで遊び始めた。

最初に飲み込まれたのは清春だった。黒川の全身を包む漆黒が、果野実をかばって立つ清春を音もなく包み込んだ。見れば、黒川の居た地点を中心に、球形にふくれあがった漆黒の本流が地面も空気も木々も何もかもを喰らいながら、膨張しているのだった。
「清春っ!」
とっさに突き飛ばされた果野実は飲み込まれずには済んだものの、目の前に広がる圧倒的な絶望感に動くことすら出来ない。漆黒の膨張はあわや果野実をも飲み込もうかというところで停止した。
「ひっ」
果野実が思わず足を除けると、漆黒はその分膨張する。慌てて身体毎飛び退くと、今度もきっちり余白を埋めるように膨張した。
果野実がパニックに陥る様子を見て楽しんでいるような、明らかに作為的な操作をされた現象。
「く、負けるか……」
立木を頼りに立ち上がると、一度は恐怖でくだけた足腰が、今度こそしっかりと地面を捉える。闇色をした目の前に広がる得体の知れない空間をひと睨みすると、一つ深呼吸して飛び出した。
「清春、絶対に助けるから!」
正体の知れない、漆黒の塊に向かって。




ばいんばいんと安っぽいゴムの音が、人気のないコンクリートの町並みにやけに響く。いつの間にか、出店が並んでいる通りの外れあたりまで来ていた。反対側のはずれからゆっくりと、大通りをきれいに突っ切ったかっこうだ。
ばいんばいん
俺が松葉杖をついている関係でさっきからずっと菜月は半歩前を歩き、今も背中越しに振り向かずにいる。
「無理にきまってんだろ。俺、馬鹿だし」
「それは違うよー」
台詞に割り込まれてかちんと来る。何か言い返そうと口を開きかけたとき
「だって光っちゃんは全然考えてないもん。考える前に諦めちゃってる」
……なんだそりゃ。考え無しはお前のほうだろ。
「光っちゃん」
なんか癪に障る。返事をする気が起きない。
「最後のヒントだよ?呪いってゆーのは、丑寅の方角に向けてやるのが一番って言われてるんだけど、この街には丑寅がないの」
「……だから?」
聞き返すと、菜月は盛大にため息をつきながら首を横に振った。本当に何だってんだ。こいつの意図がサッパリわからない。大体、丑寅?それ何処だよ。……いや、待てよ?
「丑寅は、北東だっけか」
ばいんばいんとやかましく鳴っていたヨーヨーの動きが止まる。おお、良い線行ってんじゃないか?ってあれ?
「像が入れ替わっていたのって、北と西だっけ?」
確認してみると、菜月は黙って頷いた。あれ?北東って北と東の間になるわけで、この場合それってどうなる訳?
菜月はこの問題をナゾナゾと言った。つまりは、頓知的な発想で解けと言うことらしいのだけど……。あ。なんかわかった気がする。
「南……井長神社か?」
言った瞬間に、菜月の肩がぴくりと震えた。また何か気に障ったのだろうか、相変わらず背中越しのやりとりだ。
「どうして南だって思ったの?」
挙句に解答まで出せときた。今日のこいつは本当におかしい。
「北と東の間ってんなら、逆に言や北と東はないって事だ。残ったのは南と西で…で、まぁ後は勘かな?」
「そかー」
そっちから聞いてきたくせに、言ってやるとやけに反応が薄い。同じ黙るにしても、せめて正解かどうか言ってから黙って欲しいのが人情なんだが、そこらへんどうなんだろう?
「やればできるんじゃーん、にゃはははー」
「え?」
突然の言葉に、一瞬反応できない。
「正解だって言ってるの!も少し喜んだら?」
「あ、ああ。そうだ……」
「で、正解わかったからには急がなきゃね」
無視かよ。自分で振っておいて酷いな、オイ。とはいえここは菜月の言うとおりだった。
「他人事みたいに言ってるけど、お前は行かないのか?」
「ああ、あたしはパス。まだ行ってない屋台が沢山あるしね!」
「祭りが優先なのか……」
「当然!」
えへんと胸をはるものの、相変わらずこちらに振り返る様子はない。先ほどから何をそんなに熱心に見ているのかと思ったが、ナゾナゾを解いた今となってはなんということはない、南の井長神社を見ているのだった。そんなに気になるなら一緒に行くと言えばいいものを、よくわからない奴だ。
「よし、行くよ」
いい加減に扱いの慣れてきた松葉杖をつき、俺は軽快に足を踏み出す。立ち止まったままの菜月をすぐに追い越し、そのまま向かうは井長神社。ここからなら数分でつくだろう。

光信の背中が暗闇に揺れる。松葉杖を使っての歩行はひょこひょこと危なっかしいが、今日一日さんざん街を歩いて平気だったから大丈夫だろうと菜月は判断した。
「まぁ、馬鹿には違いないよねー」
ほどなく、光信の背中が夜に紛れて見えなくなる。菜月はにゃははと笑おうとして……結局、上手く笑えなかった。



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