リレー小説　vol4 A

『無題』1p

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１

　いくつもの掛け声とともに、空手道場の床の上にぽたりぽたりと汗が落ちる。そろそろ上がるか、金田健二がそう思い窓の外を見ると、もうすっかり日は暮れていた。道場主や稽古仲間たちに別れの挨拶をすませ、ロッカールームで着替えていると、そこへ中年の男が入ってきた。
「おう、健二。何だ、もう帰るのか？」
「あ、はい。ご無沙汰してます、宮城さん。」
その中年の男、宮城進は上背こそさほど無いが、丸太のように太い腕と分厚い体幹を持っており、一目でその肉体が鍛え抜かれていることのわかる男である。その上、するどい目と立派な髭を生やしているため、本人を知らない人からはよくその筋の人間だと勘違いされていたが、冗談の好きな気の良い男であった。
「そうか、実は私も上がろうと思ってな。どうだ、帰りに一杯付き合わんか？」
宮城の誘いを金田は快諾した。宮城は金田が学生時代に初めて道場に来た時からの先輩で、もう十年以上も付き合いがある。一回り以上も年が離れている金田を宮城はかわいがり、昔はよく宮城の家で夕食をごちそうになったりもしていた。

「しかし久しぶりだなあ。もっとちょくちょく来て、後輩どもをシゴいてやれよ。」
「そうすれば自分が楽できるからでしょう？宮城さん。」
「まぁそういうことだな、わはは。」
　生ビールを飲みながらしばらく世間話をし、酔いもほんのり回ってきた頃、ふと真面目な顔をして宮城がずいと体を乗り出してきた。
「実はな、こうしてお前を飲みに誘ったのには理由があるのだ。」
「何です？」
「お前に頼みがあるんだよ。もちろん、正式な仕事としてだ。」
　金田はとある雑居ビルの２階に、小さな探偵事務所を開いていた。もう５年になるが仕事は少なかったため、宮城の申し出は願っても無いことだった。
「おおっ、そうですか、ありがとうございます。でも、そういう話ならシラフの時のほうがよかったんじゃないですか？」
　笑いながらそう言うと、宮城はさらに険しい顔つきになった。何だろう、深刻な話なのか？金田は自身の言葉を反省し、表情を引き締めた。その金田の顔をしばらくじっと見た後、宮城はジョッキに残っていたビールを一気に飲み干し、その依頼内容を話し始めた。
「実はな、娘が……。」
　言葉はそこで一度途切れた。こんなに歯切れの悪い宮城を見るのは初めてだった。誘拐か、失踪か、とにかくよほど重大なことが起きたに違いない、金田はどんどん確信を深めていった。沈痛な顔をした宮城は、少ししてから言葉を続けた。
「彼氏ができたかもしれないんだ。」
　その言葉を聞いた金田は全身の力が抜け、思わず椅子から崩れ落ちそうになった。
「……そうですか。でも、娘さんもう大学生でしたよね。別に悪いことじゃない気がしますけど。」
「ばかやろう！悪い虫だったらどうするんだ！」
　宮城の声は騒がしい店の中でも一際大きく、他の客たちは何事が起きたのか確かめるように、こちらの方を見た。
「すいません……。」
　金田が謝ると宮城は一つ咳払いをし、話を続けた。
「で、だ。お前に頼みたいことというのはな、娘に本当に彼氏ができたのか、もうしそうならその男はどんな奴なのかを、娘には内緒で調べて欲しいのだ。」
「はぁ……、でもそういうのは直接本人に聞いてみたほうがいいんじゃないでしょうか。」
「ばかやろう！そんな事ができるか！」
　再び宮城は怒鳴り、横を向いてしまった。だが今度は、他の客たちはこちらを向いたりはしなかった。うるさい酔っ払いがいるだけだと判断したらしい。金田はげんなりしたが、仕方ないので一応理由を聞いてみることにした。
「何故です？」
　その問いに、横目で見下ろすように顔を向け宮城は答えた。
「嫌われるかも知れないじゃないか。」
　……仕事は、仕事だ。
　金田は自分に強く言い聞かせた。　


２

「分かりました。宮城さんの気持ちも分からなくもないですし引き受けますよ」
　そう金田が答えると、宮城の表情は一変して明るくなった。
「そうかっ、引き受けてくれるか！　お前ならやってくれると思ったよ」
　そう言いながら、金田の手を宮城は両手で握りしめブンブン振り回した。
（――先輩がこんなに喜んでくれるなら、こういう仕事も悪くない、かな）
　金田の頭には、そんな考えと今月の家賃の請求日が浮かんでいた。
「で、早速仕事の話なんですけど、どうして娘さんに彼氏が出来たと？」
　頭を仕事モードへ切り替えながら、金田はメモを取り出した。
　探偵といえばメモ、メモといえば探偵という事で金田は肌身離さずメモ帳を持っている。
　周りには、携帯や電子手帳の方が便利じゃないかと言われるがその度に金田は、「べっ、別に電気が使えないわけじゃないんだからな。俺は、探偵として、伝統を守っているだけだ」と言っている。
「それがな――」
　宮城は、最近帰りが遅くなった、食事中でもメールばかりしている、出かける時にどこへ行くのかを言わなくなった、急に免許がほしいと言い出した、最近きれいになった気がする。と、根拠をどんどん挙げていった。
「そして、これが最も怪しいところなんだが――」
「ちょ、ちょっと待ってください」
　そう言いながら金田は必死にメモに手を走らせる。そして、メモにはミミズがのたくったような暗号めいた文字が並んでいく。
「はっ、はい。良いですよ」
「……実は、最近娘が俺に冷たくなったんだ」
「へっ？」
「ちょっと前まで、お父さん、お父さんってべったりだったのに、最近はタバコは体に悪いから控えたほうが良いだの、みっともないからタンクトップ一枚で外を出歩かないでだの、まるでうちの嫁みたいな事ばっかり言うんだ」
「は、はぁ」
「それもこれも、娘の彼氏のせいに決まってるんだ。だから、頼むぞ金田！」
　宮城はそう言って、今度は金田の両肩を掴まえ大きく揺さぶってきた。
「お、落ち着いてくださいよ、宮城さん。マジ出ますって。ま、マジで……」
　なんとか宮城を落ち着かせると、金田は必要な情報を２，３聞き出してその場で別れを告げた。
「じゃあ、１，２週間では結果が分かると思うんで」
「頼んだぞ、金田っ！　本当にお前だけが頼りなんだからな」

　翌日から金田は早速仕事に取り掛かった。
　目下やるべきことは、メモ帳の解読と、宮城の娘が通っているというＭ大へ行く事だった。
　大学なのだから別に金田一人で行っても良かったのだが、その後の調査の事を考え、Ｍ大関係者と連絡をとる事にした。
　こんな時のため、金田の手帳には弁護士やらホームレスやら夜の世界のお姉さんやら、ありとあらゆる人の連絡先が入っている。
　それが金田の５年間の結晶とも言えるものだった。
　手帳から目的の番号を見つけると、金田は慎重に携帯を取り出し、ゆっくりと番号を間違えないよう一つ一つ、正確に必死の形相で押していき、最後に通話ボタンを押した。
　――緊張の一瞬。
　一瞬の間の後、呼び出し音が鳴った。
（ふう、これで１２９勝２５６敗か）
　そして数秒後、呼び出し音が途切れ相手が電話に出た。
「あ、もしもし。俺だけど」


３

「はい、もしもし。えっと、探偵さんでよろしいのですよね。」
　おとなしめな声が電話から聞こえてくる。彼女が今回の情報提供者に選んだ真田瑠伊さん、Μ大の二年生である。
「そうです、探偵の金田。少し聞きたい事があって連絡したんです。」
　それではと、メモを開き質問を始めようとしたら。明らかにトーンの落ちた声が返ってきた。
「もしかして……前の事と関係があるのですか？」
「いえいえ、まったく関係ないですよ。今回のはただの浮気調査みたいなやつですから。」
　金田は内心しまったと思った。そういえば彼女との接点は一年くらい前の事件のみ、たしかにあれは早々忘れられるものではない。
「そうですよね。よかった…」
　ホッとした声が返ってくる。軽率な事をしたと反省をしつつ、金田は質問を始めた。
「えっと、それでは宮城真奈さんを知ってるかな？今年Μ大に入学した。君の後輩になると思うけど。」
「はい。確かに歓迎会などでお会いしました。とても明るい人ですね。」
　メモの内容が合っていた事に安堵しつつ、質問を続けた。
「そうですそうです。じゃあ、その子が付き合いだしたとかそういう噂とかは聞かないかな？」
「……すみません、あまり親しいわけではないのでそこまでは…」と、申し訳なさそうな声が返ってきた。
　金田は、「大丈夫ためになった」と、返しつつ今後の行動を如何にしようかと考えていると思わぬ情報が入ってきた。
「そういえば、噂で思い出しましたけど。確かうちの大学には、噂を集めているサークルみたいなものがあるってマー君が言ってました。」
「本当か、それならだいぶ助かるよ。依頼主から隠密にと言われてるからね。で、連絡先とかわかるかい？」
　メモを開き、携帯を肩で挟んで書き込む準備をした。
「すみません、マー君が言ってただけで私はあまり。よかったらマー君をどこかに置いておくから直接聞いてはどうですか？場所とかも知っていると思いますし。」
「それじゃあ、大学に向っているから校門辺りで。」
「わかりました。マー君は正門のところに置いておきますので、それではこれから授業なので失礼します。」
　パチン、携帯を閉じ確認が取れたことなどをメモに整理した。ふっとペンを止め、ここからでは直接見ることのできない海を見つめ呟いた。
「あれから一年か……」
　一時海の方角を見ていたが、視線を前に戻すと最寄りの駅へと歩きだした。

　駅を出て、目的地まで続く緩やかな坂道を歩いていく。心地よい風を頬に感じるようになると、目的地である正門が見えてきた。その門の柱に背中を預けている青年が居た。しかめっ面で茶髪の彼こそが、話に出ていたマー君こと鐘井雅彦である。
「おっす。」と、軽く手をあげなら声をかけると眠たそうな顔がコクンと頷いた。そして柱から体を離し、こちらに近付いてきた。
「瑠伊から話は聞いてます。馼屋に連れていけば良いのですよね。」
「ああ、それが噂を集めているというサークルならばね。」
　ぶっきらぼうな言い方だったから、ついつい同じような言い方で返したが。やはり自分は少々彼に嫌われているのだなと金田は感じた。
「それでは付いてきて下さい。」
　そう言い終わる前に体を門の内側に向け、そちらに向って歩きだした。そして金田もそれに倣い歩きだした。
　綜合情報センターという、パソコンの並ぶ教室だけを集めた施設の廊下を歩いている。ここの一角にその馼屋というサークルが有るらしい。鐘井はもくもくと奥へと進み、ある扉の前で立ち止まった。
「着きました、ここがそうです。」
　一見ただの物置にしか見えないが、ドアにも一応『馼屋』と書かれたテロップも有る。
「ありがとう、助かったよ。」
「それでは、これで失礼します。」
　鐘井はお礼にそれだけを返すと、来た道を戻り始めたが。二、三歩進むと背中越しに言ってきた。
「あなたは、自分と瑠伊にとってはあの事件の象徴みたいなものです。ですから、あまり係わって欲しく無いのが本音です。」
「確かに今回は軽率だったが、仕事としてやっている以上約束は出来ない。」
　そう言い返すと、鐘井は「そうですか。」とだけ言ってまた歩きだした。
　金田は鐘井が角を曲がって見えなくなるまで見送ると、目の前のドアを三回ノックしてドアノブを回し引いて中に入っていった。

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