リレー小説 vol2 B

『春一番なんて来やしない』3p

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 結局、及川は目覚めず友寄先輩が来たのは、巨大な僕が海に出現してから1時間後だった。
 その時僕は、我が子の出産を待つ夫が妻と子供の元気な姿を見た瞬間くらい嬉しかった。
「ごめん、待った?」
 車から降りてきた友寄先輩はそう言った。他に誰も降りてくる様子が無いところをみると、どうやら一人のようだった。
「あれ? 先輩一人なんですか?」
「うん、他の人にはあれ見られるわけにはいかないでしょ?」
 そういって先輩は、巨大な僕のシェー像を指差した。
「……確かに」
 あれを先輩達に見られたら一生笑いものだよな。いや、一生どころか末代までの恥だ……。
 けれど、その時の僕はそんな事どうでも良くて、別の事で頭が一杯だった。
(今日の先輩、何かいつもより綺麗だ)
 普段は全く意識したことなんて無かった。
 けれど、目の前の友寄先輩はなんというか、森高千里と中山美帆と広末良子を足して3をかけた位綺麗だった。
 センパイトフタリッキリ――意識した瞬間、その言葉が頭から離れなくなって心臓がバクバクと鳴り出した。
「――聞いてる?」
「……へっ、あ、はい!」
 慌てて答えたけれど、正直全く聞いていなかった。
 そんな僕の様子を見て先輩ははっと何かに気付いた様子をした。
「そっか……ごめんね」
 そして、そう呟いた先輩の顔はとてもツラそうだった。
「え? 何で謝るんですか?」
 聞かれた先輩は答える代わりに小さく首を振り、逆に質問してきた。
「智樹君って、晃君とはどういう関係?」
「関係……ですか?」
 聞かれて考えてみると、及川と僕は本当に接点が無かった。
 同じクラスになったのは高校3年になった時が初めてだったし、二人っきりで話したこともほとんど無かった。メールアドレスを教えたのも、僕が沖縄に行くと聞きつけた及川が余りにもしつこく聞いてくるのでその熱意に負けてしまっただけなのだ。
 僕にとっての及川晃は、本当に「あまり親しくないクラスメイト」だった。
「えっと、及川は高校のときの同級生で、そこまで親しいって訳でもなかったんですけど、この間急に及川の方から電話があって、春休み暇だから沖縄案内してくれって。あんまり強引なんで僕、断りきれなくて」
「……そっか。そういう事になってるんだ」
「……先輩?」
(なんだ今の意味深な台詞は? もしかして、さっきのはっとした顔は先輩が僕の気持ちに気付いて、それでもってごめんっていうのは先輩には好きな人がもう居て、それでもってそれでもって今の意味深な台詞はその相手が及川だったってことなのか!?)
 僕の思考のネガティブスパイラルは、現実逃避という名の構造改革さえ起こさせてはくれなかった。
「あのね、智樹君これから話すことを落ち着いて、真面目に聞いて欲しいの」
 そういった先輩の表情からは、決意とかすかな怯えが見て取れた。
 そして、やっぱり見とれてしまうほど綺麗だった。
「私、中学生の頃香取伸吾が大好きだったの」




 香取伸吾と、及川が引き起こしたらしい怪奇現象との間にいったいどんな関係があるのだろう。
 僕は友寄先輩の次の言葉を待った。いつの間にか、手のひらに汗がにじんでいる。
 ギュゥゥゥゥゥーーン。
 だが、僕の耳に飛び込んできたのは友寄先輩の言葉ではなく正体不明の音だった。
実際のところ、僕の背後から聞こえてきたそれは正体不明ではなく、よく聞いたことのある音、だと思う。ただその音であってほしくないという僕の思いが、それと認識しないようにしているのだ。しかし、僕と向かい合っていたために、僕よりも早く音の正体を知ってしまった友寄先輩の顔を見れば、僕の当たってほしくない考えが当たっていることはほぼ間違いない。
 それでも僕は決して後ろを振り返らなかった。
 しかし、そんなささやかな抵抗もむなしく、それは僕と友寄先輩の頭上をいつものように轟音を響かせながら高速で飛び越えて行った。僕の考えどおり、それは米軍の戦闘機で、しかも7機もいた。
 戦闘機は巨大な僕の前で大きく旋回し、上空へ飛んだ。6機はそのままぐんぐん高度を上げていくが、1機だけ高度を上げず、何かを発射してからようやく高度を上げた。
 それが何であるかなどすぐにわかりそうなものだが、僕の思考は止まっていたらしく、それが巨大な僕にぶつかってガウーンだかゴウーンだかという派手だが形容しがたい音と、巨大な火柱を上げてから、ようやくそれがミサイルだったのだと理解した。
 上空の戦闘機は1機ずつ下降しては巨大な僕にミサイルを撃ち込み、また上空へ飛んでいく。巨大な僕からはどす黒い煙が上がり、所々からは大きな炎が渦巻いている。煙の中からはミサイルの破片か、それとも巨大な僕の破片なのか、何かが落下し、海面で激しく水しぶきを上げている。
 巨大な僕の立っていたあたりから煙が立ち上るなか、米軍機は轟音を響かせながらどこかへ飛んでいった。
 足から力が抜けていき、僕は尻もちをつくように腰を下ろした。茫然自失。ただ、目の前の海から立ち上る黒煙を眺めることしかできなかった。
 しかし、数分して煙が晴れるとそれだけの攻撃を受けていたにもかかわらず、黒くは汚れていたが、巨大な僕には傷一つついていないようで、相変わらずあの間抜けなシェーのポーズで海からそびえ立っていた。
 思わず僕は自分を褒め称えてやりたくなった。が、友寄先輩の話によればあれは及川の一部だそうなので、僕がすごいわけではないのだ。
 そこまで考えて、ようやく僕は友寄先輩と、ついでに及川のことを思い出した。
 慌ててあたりを見ると、友寄先輩は車の中の及川に何か言っているようだった。
 そうだ、あの巨大な僕が及川の一部なのだとしたら、ひょっとすると及川に何か異変が起きた可能性はある。
 僕は慌てて車へ駆け寄った。
「せ、先輩! 及川は、及川は無事なんですか!」
 友寄先輩はゆっくりとこちらを向き、口を開く。
「智樹君、晃君は――」
 その瞬間、確かに世界から、音が消えた。
「――わ」
 先輩の言葉が理解できない。
「嘘でしょう、そんな、まさか……」
 友寄先輩は僕の言葉を否定する。
「本当よ、ほら」
 そう言って友寄先輩は車の中を見せるために脇へよける。
 見たくない。
 友寄先輩の言うことが信じられない。
 だが、
「嘘だ」
確かに、
「いいえ、真実よ」
現実に、
「そんな、そんな――」
友寄先輩の言葉通り、
「信じられないと思うわ、私だって、信じられないもの」
及川は、
「こんな、こんなことって」
及川晃は、
「あるのよ、ありうるのよ」
車の中で、
「ん、んな……アホな」
 平和そうに眠っていた。
「ほら、言った通り眠っているでしょ」
 そうなのだ、あれだけの爆音の響く中、及川はずっと眠っていたようなのだ。
「……まぁ、無事なようで安心しました」
 僕は苦笑する。
「まったくね、のん気なものだわ」
 友寄先輩も苦笑している。
 疲れたような、でも穏やかな空気。
 だがそれは、あの轟音によって破られた。
 戦闘機、しかも今回は10機以上いるようだ。
「まずいわ、今度は耐えられないかもしれない」
 海にそびえ立つ僕からは今もわずかに煙が上がっている。
「おい、及川! やばい、やばいって!」
「晃君、起きて! 晃君!」
 轟音はどんどん大きくなっていく。
「及川、起きろ、起きろ、起きろー!」
 僕は及川を必死でゆする。と、
「……んにゃ?」
 微妙に可愛いような声を出して及川が目を開けた。
 それと同時に、巨大な僕が光りだしたのが目の隅に映った。




 及川は巨大な西川智樹像が放つ光を寝起きでまだ覚醒してない頭で眺めていた。
 光は及川の視覚神経を刺激し、それほど遠くも無い過去の記憶を呼び覚ました。
 それは及川が生まれた日のことだった。

 及川が生まれて初めて見た人間は友寄明菜だった。
 及川はただぼんやりと目に映るものを見ていた。まだ何も描かれていない及川の真っ白な心に明菜は映っていた。
 彼女は怯えるような、しかし平静を装ったような顔で及川にゆっくりと近づき、へたりと座っている及川に目線を合わせて言った。
「あなたの名前は、アキラよ」
 及川はその言葉の意味を理解せず、頭の中のホワイトボードに書き込んだ。
 ―――あなたの名前は、アキラよ。
 答えない及川に戸惑いの色を見せながら、明菜は続けた。
「私の名前は、友寄明菜。あなたの姉さんよ」
 ―――友寄明菜……姉さん……?
「あなたは、私の弟」
 ―――弟、おとうと、オトウト  おと  う


 凄まじい光が収まると、巨大な僕は忽然と消えていた。
 僕としてはあの恥ずかしい格好をした像が消えてくれて胸を撫で下ろしたかったのだが、攻撃を再開しようとしていた米軍機は、あの凄まじい光と突然の「敵」の消失で完全に秩序を失っていた。操舵を誤った一機が他の機の横をすれすれで通過した。
「先輩、どういうことですか……?」
 僕は今度こそ友寄先輩に向き合った。
 先輩も決心したようで、僕を真っ直ぐ見つめた。
 シチュエーションは申し分なかったのだが、この状況を恨めしく思った。
「あの巨大な像は何だったんですか?先輩は及川の一部だとか石ころのようなものとか言ってましたが」
 返事はすぐに返ってこなかった。
 僕は先輩が話し始めるまで待った。
「智樹君は、私の弟のことを覚えている?」
「弟……晶のことですか?」
 晶は友寄先輩の弟であり、僕の親友だった。
 そいつは僕が小学生の頃、交通事故で死んだ。
 その頃中学生だった先輩とは面識はあまり無かった。僕が中学に上がれば先輩は高校生、僕が高校に上がれば先輩は大学生だ。もちろん、及川にとってもそうだ。
 だから、何故先輩が突然晶の話をするのか分からなかった。
 話をはぐらかそうとしているのかとも思った。
 でも僕は、自分でも分からないが、今日の出来事と何か繋がりがあるに違いないと確信していた。
「私……弟によく『あんたが香取伸吾だったらよかったのに』って言ってたの。もちろん冗談で」
 僕は晶からその話を聞かされたことがある。「姉貴が重度の香取伸吾狂で困る」と。
「あの子が死んでからそのことを凄く悔やんだわ。私は冗談で言ったつもりだけど、本当は、弟は凄く傷ついていたのかもしれない」
 確かに晶はそう言われるのを嫌がっていた。だけど傷ついている素振りなど見せたことはない。
 僕は目に涙を溜めながら言葉を綴る先輩をただじっと見つめた。
「弟が死んで、私は毎日泣きじゃくってた。それを見かねたのか、二つ下の従姉妹が私に卵くらいの大きさの石を二つ渡してこう言ったの」

――晶君、生き返れるよ

「それですぐに従姉妹と私は晶を生き返らせるため、持ち主のいない朽ちた神社に行ったわ。従姉妹は秘密の遊び場だって言ってた。私たちは埃まみれで暗い社の中に入って弟を生き返らせる“儀式”を行ったの」
 友寄先輩の目にもう涙はなかった。ただ無感情に過去を語っていた。
「片方の石を床に置いて、もう片方は私が持つの。その時私は強く弟のことを思わなければいけなかった。
 ……私は……私が思ったのは、弟じゃなくて、香取伸吾……」
 ……もう、僕にも話が見えてきた。
 先輩は弟を失った悲しみで、どういう訳か石から人間を創ることができる先輩のいとこの話に乗ってしまった。人間を創る際にはもう片方の石で強くその人物のことを思わなければならなかった。
 先輩は弟を生き返らせたいという思いは強かったはずだ。しかし、それを邪魔したのが、先輩の香取伸吾好きだった。
「“儀式”が終わったとき、私の目の前に居たのは……弟でも香取伸吾でもない、及川晃君だったの……」
 性格も、もちろん顔も晶とは全く一致しない及川晃が生まれてしまった。
 友寄先輩は自分の失敗を恥じ、及川を弟として受け入れようとした。
「でも……でも、晃君は、晶じゃなかったの……!!」
 その言葉を振り絞って出した後、先輩は本格的に泣き始めた。


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