リレー小説 vol4 A

『無題』3p

表紙へ 前へ 次へ
6

 大学から事務所へは地下鉄と電車を乗り継ぐ必要がある。辛気くさい地下鉄の雰囲気は金田の好みとはかけ離れているが、ハードボイルドをやるぶんには悪くないとも思わせる。切れかけた蛍光灯がちかちかと明滅するさまは二昔ほど前の邦画から切り取られてきたような不思議な空気を醸しだし、けして広くはないホームはそこだけ外界から隔絶されたかのような錯覚に陥らせる。
 手に入れた資料や情報その他諸々を分析するため、金田は地下鉄のホームに降りてきた。外は土砂降りの雨で、資料を庇ったために金田自身はずぶ濡れ状態。陰鬱なホームに濡れ鼠の自分が独り立っているのは、孤高の探偵を指向する金田にとって、ひどく惨めな気分になる状態だった。

 間もなく電車が入ってくるという所で、金田はふと線路を挟んだ反対側のホームに目がいった。下りと上りの線路の向こう側、鏡あわせになっているかのように全く同じ構造を持つ下りのホームに、自分と同じように独りきりで電車を待つ女性の姿。……宮城真奈。
 金田が女性の容姿に注意を向けている間に、ほぼ同じタイミングで下りと上りの地下鉄がやってくる。金属がきしむようなブレーキ音がほぼ無人のホームにやけに空々しく響く。
 圧縮空気の抜ける音とともに車両の乗降口が開いたとき、金田は確かに見た。真奈とともに地下鉄に乗り込む男の姿。長身で結構体格の良さそうな青年が、真奈の後ろに追従するかのように歩いている。真奈は特に話をするでもなく、乗降口に一番近い席に着くと、そのまま疲れたように目を閉じた。男も別段口を開く訳でもなく、ただ黙って一緒に座っている。
 不意に目を上げた男と、金田の視線がぶつかる。男は一瞬面食らったような表情を見せたが、すぐに笑顔になり金田に話しかけた。当然声は届かない。が、男の短いメッセージは容易に読み取れた。

こ・ん・に・ち・は た・ん・て・い・さ・ん

 真奈と男だけをのせた電車が地下鉄の暗闇へと走り去る。数瞬送れて金田が乗ろうとしていた電車も、反対の方向へと疾駆していった。残された金田は動けない。
 雨に濡れた身体が、突然冷えてきたような感覚に襲われて、一つ身震いするのが精一杯だった。


7-1

 推理とも呼べない堂々巡りを繰り返しながら金田は歩いていた。地下鉄の男、あの冷たい笑みには覚えがあった。だが思い出せない。自然と足取りは重くなり、雨がそれに拍車をかけた。
やっとの思いで事務所へと続く階段に辿り着いた金田は、ようやく前かがみの姿勢を解き、包みを持った両手をだらりと垂らした。一段、一段、したたり落ちる雫をぼんやり眺めながら上っていると、ふと階上の事務所の方から人の気配を感じた。
金田は息と気を整え直すと、左手に荷物をまとめ右手を空にした。遠巻きに階段を上がり事務所の方向を見据えると、そこには一組の男女が立っている。金田を認めたその内の一人が声をかけてきた。
「お待ちしておりました、金田さん。」
そう言ったのは女の方である。その正体を見た金田は驚いた。
「真…田さん?」
事務所のドアの前に立っていたのは、やわらかな笑みを浮かべる真田瑠伊と、それとは対称的にしかめっ面の鐘井雅彦であった。

「それで、何の用なんだい?」
小さなガラステーブルを挟んだ安物のソファーに腰掛けながら、金田は対面にいる突然の来訪者たちに問いかけた。
「用という程でもないのですが、この度はこのマー君が金田さんに失礼な事を言ったようで、そのお詫びに参りました。」
真田がそう言うと、隣に座っている鐘井が黙って頭を下げた。
「いやそんな、こちらこそご迷惑をおかけして……。」
慌てた金田がそう言い終わらないうちに、鐘井は真田の腕を取り、自身とともに立ち上がらせた。
「瑠伊、帰ろう。」
 その露骨な態度に少々不快感を感じながらも、鐘井の行動は金田にはありがたかった。
「あら、せっかく来たのですよ。私はもうしばらく金田さんとお話してから帰ります。」
金田に何の断りもなく、真田は勝手にそう決めているらしい。
「何故だ、もう用は済んだじゃないか。」
「ですから、一人でお帰りなさい。そもそも一緒に来てなどと、私は一言も言っておりません。お前はなぜ来たのです?」
鐘井の手をぴしゃりと叩き振り払った真田は、もとの席ではなくテーブルを回り込み金田の横に座り直した。
「そんなっ!瑠伊、自分は……くっ、ちきしょおぉ!」
顔を真っ赤にさせ泣きながら茶髪の青年は事務所を飛び出し、勢いよくバタン!とドアを閉めた。


7-2

鐘井がいなくなった部屋は、金田と真田の二人きりになってしまった。しかもソファーに腕が触れるほどの距離で並んで座っている。その事実に気付いた時、金田は内心うろたえた。何しろ真田は美人なのである。これでは具合がまずいので、さりげなく距離を取ろうと思い立ち上がりかけた金田は、真田にきゅっとシャツの袖をつかまれ硬直してしまった。
(しまった。後の先を取られたか!)
もはや金田の頭の中はパニック状態である。真田の方は見ることができなかった。その金田に、真田が小さな声でつぶやいた。
「金田さん……。」
「はいっ!」
小学生のような返事をした金田であったが、しばらくの沈黙の後、どうも様子が想像とは違うらしいことに気付いた。
「私、見たんです……。」
真田の声は震えていた。驚いた金田が真田の顔を覗き込むと、その顔には先程までの笑みは無く、不安や恐怖といったような暗い感情が色濃く表れていた。
「……何を見たんですか?」
 真田の目をまっすぐに見ながら、強くも優しい口調で金田は尋ねた。それに気圧されたのかそれとも安心したのか、真田は顔をふせ、言葉を続けた。
「あの男を……。」
「あの男?」
「一年…前の……。」
そこまで聞いた時、金田は全身に電撃を打たれたような衝撃を感じた。思い出したのだ、今日地下鉄で会った男が誰であったのか。記憶の顔とは違っていた、だが、あの笑みは―…
「斎藤っ……。」
金田の口からその名が漏れると、真田は黙ってうなずいた。

ジリリリリン!

 その時、静かな部屋の中に黒い電話の音がけたたましく鳴り響いた。それが不吉の鐘の音である事は、何故か確信していた。
金田も。
真田も。
そして、ドアの向こうで必死に聞き耳を立てているマー君こと、鐘井雅彦も。


表紙へ 前へ 次へ
novelへ戻る
galleryへ戻る
topへ戻る