リレー小説 vol4 A

『無題』4p

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8

 斉藤葉太。
 金田にとってこの名前は、苦い敗北感とともに有る。一年前、金田はこの大学近辺において連続して発生した行方不明事件に関わった。
 地道な情報収集と学校内外の知人による手助けにより金田は順調に捜査を進め、あと一歩で犯人を確定出来るところまで踏み込んだ。しかし土壇場になって捜査の情報が漏れてしまい、警察の介入、マスコミの大々的な報道が発生。慌てた依頼者は、秘密裏に捜査を進めていた金田の活動を一方的に打ち切ってしまった。混乱の中、犯人の候補として筆頭にあげられていた男の逃走という、最悪の形で事件は幕切れとなった。
 その時に、金田は当時一年生だった真田と鐘井の両名と出会い、取り逃がした男こそ、斉藤葉太である。

「こんにちは、探偵さん」
こぼれる声に、受話器を握る金田の握力が増す。ぎぎ、とかすかな音を立てて古くさい黒電話が軋んだ。
「いや、この時間だとこんばんは、か」
金田が答えないまま、電話の主はおかしそうに言う。金田は黙ったまま、手元の携帯電話の短縮ダイヤルを押し、そのまま切る。数秒して携帯電話に目当ての番号から着信が有ったことを確認すると、金田は初めて口を開いた。
「はい、こちら金田探偵事務所。お名前とご用件をどうぞ」
返答が意外だったのか、受話器の向こうから馬鹿にしたような声が響く。
「あー、ご用件は、そうだな、宣戦布告ってヤツか?」
その意味するところを伝えるには、あまりに軽い声。今日の天気でも聞くかのような気楽さに、金田の握力がもう一段階上がる。
「こっちの名前はもう判っているんだろ?名探偵さん」
「……斉藤、葉太か」
金田の答えに満足したのか、受話器の向こうの斉藤は、正解といいつつ拍手をした。
「何のつもりだ。逃げたはずの重要参考人がわざわざ電話をかけてくるとはね」
 こちらを小馬鹿にした態度をとり続ける斉藤に、金田はわざと挑発的な言葉を投げかける。案の定、斉藤は食いついてきた。
「逃げただ?ほざけ名探偵。こっちは『餌場』荒らされてムカついてんだ」
『餌場』……その表現に金田の握る受話器がぎしぎしと鳴る。
「あんたにはでかい借りがあるからな、オトシマエつけてもらわないとこっちの腹がおさまらねぇんだよ。この一年、あんたとあんたの周りのことは随分調べたからな。苦しんでもらうぜ?」
宣戦布告と言った通り、斉藤は一方的にべらべらと喋っている。挑発的な内容に金田は努めて冷静になろうと必死にこらえつつ、手帳に要点をメモしていく。
「せいぜい必死になれよ、名探偵さんよ!」
喋っている間にどんどん斉藤の口調は高揚していき、そのまま乱暴に電話は切られた。

 鐘井に睨まれつつ、怯える真田をなだめすかし、ようやく帰らせる頃には雨もやんでいた。
(俺に借りだと?)
煮えたぎる思考回路が、最も単純で、かつ最悪の結論へと金田を導く。
(俺の周りを調べていただと。……つまり、これは。)
探偵稼業は、人から恨まれる事も多々ある。現に、つい先ほどまで訪れていた鐘井は、金田に対して、決して良い印象を持っていない。かつて立場的には味方であった鐘井ですらそうなのだから、敵対していた相手からは言わずもがなである。そのような事態には慣れていた。慣れてはいたのだが、今回の事案はそんな経験すら全く役に立たないほどの衝撃を金田に与えた。
(つまり、これは。俺への復讐に宮城親子が巻き込まれたって訳か!)
 金田の拳が安物ソファーの手すりを叩く。手すりにおいてあった携帯電話が転げ落ちる。どこかのボタンが押されたのだろう、不在着信があった事を合成音声が告げた。金田はあわてて携帯を拾うと、一つ大きな深呼吸をする。
(落ち込んでどうするよ俺。今はとにかく斉藤の計画をつぶす事を考えろ)
「その為にも、まずコイツだな」
自分に言い聞かせるようにわざと考えを口に出し、ゆっくりとボタンを確かめながら短縮ダイヤルを入力した。さきほど緊急に依頼した件、あいつなら上手く事を運んでくれていると信じて。

9-1

「…もしもし、俺だ」
『わかってる…依頼、引き受けましょう』
 金田からの連絡を待っていたのだろう、2回目のコールで美月は電話に出た。
 電話の向こうはざわざわとうるさい。時折車の走り抜ける音も聞こえてくる。あの要塞では独特の電子
音と彼女がキーボードを叩きマウスを操る音以外、グラウンドの喧騒さえ聞こえなかったはずだ。外で掛
けているのだろうか。
「今、外か?」
『ええ』
「聞かれたらまずい、人気のないところに移動してくれ」
『とりあえず、車に向かうわ』

 10秒ほどの沈黙の後、美月が車のドアを閉める音を確認して、金田は続けた。
「斉藤が、現れた」
『……やっぱり、そうなのね』
「わかってたのか」
『確信はなかったけど。馼屋以外のネットワークからも情報は入って来るわ。その中にいくつか気になるも
のもあったし…何より、今回の大学の件そのものが彼の仕業だったみたい』
「どういうことだ?」
『あなたから連絡をもらう直前、ぱったりと攻撃の手が止まった。私のことを調べるついでに情報を撹乱し、
あなたと接触する機会も得られる。…一石三鳥、全て、予測済みだったのよ。ムカつくことにね』
 苦々しく舌打をする音が聞こえた。普段は特殊メイクで隠れている美しい素顔(友人の贔屓目を抜いても
美月はきれいな顔をしている)は意外に表情豊かだ。金田だけがそれをわかっていて、美月もまたそれを
知っているからお互いに本心をさらけ出せる。
(「恋愛」…ってわけじゃ、ないんだけどな)
『金田君、聞いてる?』
「あ…ああ、悪い、もう一回言ってくれ」
『ったく…またあなたの悪い癖。いい加減直したら?』
 会話中に金田はよく別のことを考えてしまう。美月はそれももちろんわかっていて金田を注意するのだか
ら、金田は今のろくでもない頭の中身が全部美月に筒抜けになっているんじゃないかと、またいらないこと
を考えてしまう。変な汗をかいた。気持ちを切り替えるようにソファに座りなおし、金田は思考回路を左耳と
直結させた。

「…とにかく、斉藤の手が止まったから、大学の仕事は一旦カタがついたわ。あなたの依頼を受けることは
可能よ。但し、私は探偵じゃないわ。あくまで『情報屋』だから、事件の解決よりも情報の収集が目的なの。
危険にわざわざ首を突っ込むことはしない。もし、そういう状況に巻き込まれた場合、私はあなたの許可を
得ず依頼を放棄します。これは、わかってくれるわね?」
『ああ。…今回はお前も標的に入ってるだろう。本当は…頼みたくなかったんだが、知り合いの情報屋は全
員駄目だったからな……危険が及んだ場合依頼は放棄してくれて構わない。その場合も情報料は全額支
払わせてもらう』
「お…」
 お金の問題じゃないわ、と美月は言いかけてやめた。これは仕事なのだ。確かに美月と金田は「友人」で
ある。しかしその前に利害関係の一致した「ビジネスパートナー」なのだ。
(ちゃんと線引きしなきゃいけないって、わかってるのに)
『美月?』
「…なんでもないわ」
『そうか、ならいい。…まず、斉藤の居場所を特定してくれ。後は一年前の捜査資料をまとめてほしい』
「資料ならすぐに出せるわ。これからそちらに向かいましょうか」
『ああ、よろしく頼む』
 美月はそのクールでスマートな容貌には少々不釣合いなピンクのミニーマウスのキーホルダーを鞄から取
り出し、エンジンを掛けた。どこにでもいる黒いマーチが小さな唸り声と振動を伴って目覚める。
『何分くらいで着く?』
「多分、多めに見て…30分くらいかしら?」
『じゃあ、その間に俺は宮城さんに連絡しておこう。…力づくでも娘を呼び戻せ、ってな』
「そうね、もしものことがあってからでは遅いし…真田さんと鐘井君にも注意しておいた方がいいんじゃない?」
 駐車場から出ようとサイドミラーを見るとなぜか歪んでいた。
 車の中に篭った嫌な空気も出してしまおう、と美月は窓を開ける。
『ああ、わかった。そうするよ』
「じゃあ、また後で。面は…割れてるでしょうけど、騙せる自信はあるわ。とにかくあなたはあなたの仕事に専
念し…」


9-2

 がつん。

『一歩遅かったな、残念でした』
「斉藤!?お前っ…美月に何をっ!!」
 頭部を鈍器で殴られたような…いや、実際その通りなのだろう、鈍い音が聞こえ、数瞬の後に電話口の声は
涼やかなアルトから憎たらしい男声に変わった。
『さぁ?死んではいないんじゃない?死んじゃったら俺が楽しくない』
「貴様ぁっ!!!」
『ねぇ…これから二人でどこへ行こうか?あれぇ?おねむなのかなぁ?いーよ。俺は女の子が助手席で寝てて
も気にしないから。海がいい?それとも山?街中を巡って素敵なお店を探すのもいいね』
『…金、田く…』
『奴のところは最後だよ。せいぜい、自分の犯した過ちを、己の無用心さを呪うがいい』

 斉藤は笑った。
 悪魔のような高笑いだった。

「クソッ…美月っ!美月ーーーっ!!!」
 そして黒いマーチは、アスファルトの上にばらばらになった携帯電話の銀色のパーツを残したまま、ゆっくりと
駐車場を後にする。…その光景を見ていたものは、一人もいなかった。


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